「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ハイドリヒを撃て!ナチの野獣暗殺作戦」「ブランカとギタ

kurawan2017-08-22

「ハイドリヒを撃て!ナチの野獣暗殺作戦」
第二次大戦中期、チェコはドイツに占領され、ユダヤ人の大量虐殺が進められていた。指導していたのはナチスのナンバースリーと言われたラインハルト・ハイドリヒ。彼を暗殺するため二人の男が送り込まれた。という史実に基づいた物語で、とにかく、クライマックスの銃撃戦のシーンが大迫力で緊迫感溢れる。作品全体はこれというほど優れた出来栄えではないものの、見せてくれる映画でした。監督はショーン・エリスです。

ヤンとヨゼフの二人のスパイがパラシュートでチェコに降り立つところから映画が始まる。そして地元のレジスタンスの力を借りて、ハインリヒ暗殺計画を進める。この展開が前半部分となる。協力者の中に女性二人がいて、ヤンたちとの淡い恋物語が紡がれるものの、ここは非常に中途半端に終わる。

そして計画が実行されるが、ふとしたハプニングで完全に成し遂げられずヤンたちは逃亡。しかし重症を負ったハインリヒは病院で死んでしまい、ナチスが血の報復を始める。

無差別に殺される市民たちを見ながら、ヤンたちは教会の地下に隠れる。しかし仲間の密告でドイツ軍が襲って来る。こうして教会での銃撃戦がクライマックスとなるが、このシーンに優に30分取っているためかなりの見応えのある展開になっている。

しかし、一人また一人と死んで行き、最後は突入してきたドイツ兵の前で自決して全員が果てる。

史実とはいえ、エンタメ性も十分に取り込んだ作りになっていて、映画としても楽しめる。逆にいえば、ドラマ性が十分に描かれていないために、作品自体に厚みがないのは少し残念ですが、退屈せず見れる一本でした。


ブランカとギター弾き」
カメラ映像を丁寧に利用した画面作りがとっても好感な作品で、スラム街を描いているけれどもいかにもな汚れ具合を前面に出した演出がなされていないにがとっても心地よい作品でした。監督は日本人で長谷井宏紀という人です。

マニラのスラム街で盗みを繰り返しながら生活する孤児のブランカ。しかし、事あるごとに寂しさを感じていた。

そんなある時、街頭のテレビで、大人が女の人を金で買うという出来事を見る。そして、母親もお金で買えるのだろうと考える。たまたま、広場でギターを弾きながら生活する盲目の浮浪者ピーターと知り合ったブランカは、ピーターからお金を稼ぐということを知り、大きな街に出ようと誘う。

ところが乗せてもらったトラックに途中で降ろされ金を取られた二人はその町のスラム街で稼ぎ始めるが、二人の歌を聞いたレストランのオーナーの誘われ、店で歌うことになる。

しかし、そこの従業員に妬まれ、泥棒の容疑をかけられ追い出されまた浮浪生活へ戻る。

そんなブランカに人買いの女が近づく。しかし、危ないところで助けられ、一時はブランカは孤児院へ入ることを決意、ピーターと別れるが、やはり恋しくなったブランカはピーターのところに戻ってエンディング。

カメラレンズの特性や色使いにもこだわった映像作りが実に美しいし、ブランカの笑顔も素敵。ただ、親切なオカマや悪ガキ大将の少年二人のエピソードなど脇役の使い方が今ひとつ物足りなくて、せっかくいい味が出そうなのに生きてこないのが残念。

ピーターの存在をもう少しうまく使えばとっても素敵な物語になりそうなのですが、そこも物足りないままに終わった感じなのは脚本の練り足りなさかもしれないですね。
でも、素直ないい映画だった気がします。

映画感想「ロスト・イン・パリ」「キタキツネ物語」「雨のアムステル

kurawan2017-08-21

「ロスト・イン・パリ」
宣伝を見たときは面白そうな映画だと思ったのですが、あまり笑いに繋がらなかった。物語の構成はなかなか凝っていて、ほんのしばらくの時間を三つに分けて描き、最後にまとめるあたりは楽しいのですが、現役の道化師としても有名らしいドミニク・アベル、フィオナ・ゴードン監督が作ろうとしているコメディは私には伝わらなかったです。

カナダの吹雪に立つ叔母のマーサと姪のフィオナのカットから映画が始まる。
そして、カナダに住むフィオナの元にパリに住むマーサから助けて欲しいと手紙が来る。この導入部はとっても舞台的な感じで面白い。

そしてリュックを背負い、いかにもお登りな感じのいでたちのフィオナがパリにやって来るが、住んでるはずのところにマーサはいない。その前後のカットでマーサはどこかに脱走したシーンがあり、一方パリを彷徨うフィオナはセーヌ川に落ちてしまい、リュックをなくすが、ドムという浮浪者がそれを拾うシーンもカットインされる。

やがてフィオナはようやくマーサに会うが、実はマーサはエッフェル塔に登りたかったようで、とあれよあれよと展開して、最後はマーサも亡くなりフィオナはカナダに帰ってエンディング。

リズミカルな演出と音楽に乗せていく個性的な映画ですが、このユーモアは分かりにくかった。強いて言えばサイレントコメディの世界観に似ている感じでした。


「キタキツネ物語」
蔵原惟繕監督の大ヒット動物映画ですが、ジャンルゆえ見ていなかったのですが、今回特集上映でもあるので見ることにした。

ドキュメンタリーというより動物を擬人化した家族の物語なので、普通の映画ですね。

流氷を渡ってオホーツクの砂丘にたどり着いた牡ギツネのフレッツが、地元の女狐レイラと家族を持ち五匹の子供を設ける。物語はこの五匹の子供の成長を通して、この狐の家族の物語、北海道の自然の厳しさを描いていきます。

自然を捉えたカメラが実に美しいし、四年の歳月をかけて撮った狐の姿が抜群に愛らしい。ヒットするのもうなずけます。

最後は再びフレッツは流氷に乗って去っていく。これはドラマですね。


「雨のアムステルダム
これはなんだ!という映画。どう転がるのか焦点が定まらない展開にとにかく長い。監督は蔵原惟繕

商社に努める主人公明は出張先のアムステルダムで幼馴染の涼に出会う。ところが、勤めている商社が倒産するし、涼が関わる日本レストランが何やら胡散臭いし、たまたま日本の大企業大日本商事の陰謀を知ることになり、二人は何やら巨大な物語に巻き込まれていく。

最後は二人は殺されてしまうのですが、何が何やら、津軽節は出て来る、青春メロディの旋律は流れる、しかも物語はサスペンス、そしてラブストーリー。どうしようもなかった。


「愛と死の記録」
これはなかなかの一本。真正面から被曝問題を捉え、しかも妙なお涙頂戴にせず、現実的にエンディングを迎える。こういう大人向けの映画は今時ぜっていに作れない。そして素直にラストは泣いてしまった。悲劇に対しての涙ではなく、こういう現実を経験したことへの悔しさからの涙。一昔前の映画にはこういうしっかりしたものがたくさんありました。監督は蔵原惟繕

主人公幸雄が和江にレコードの弁償代金を橋の上で渡しているという唐突なシーンから映画が始まる。二人の前を市電が走り抜ける。

幸雄は印刷会社に勤めていて、同僚のいたずらでレコード店に努める和江と知り合い交際を始める。そして二人は結婚を前提にした話になりお互いの世話になっている人にその話をするが、どこか手放しで祝ってくれない。ここで、舞台が広島で、戦後21年目という舞台設定が浮かび上がる。

この展開が見事で、そのあと、幸雄は白血病を発病し入院、和江は献身的に看病をする。幸雄は被爆者であったのだ。そして後半、幸雄は帰らぬ人になる。和江は一時悲嘆にくれるも、すぐにカットが変わると立ち直っている。しかし、映画の冒頭で彼女の家の隣に住む女性は被爆者で自殺未遂したことが思い出される。

そして友人や家族に明るく振る舞った和江は、ある日服毒自殺をし帰らぬ人となる。彼女が死んだことが載った新聞記事が映りエンディング。この畳み掛けと、ストレートに迫って来るメッセージが素晴らしい。モノクロームと姫田真佐久の見事なカメラも見応え十分。

こういう、本当に真面目に取り組んだ映画が少なくなった。これが大人の映画だと思います。

映画感想「エブリシング」「少女ファニーと運命の旅」

kurawan2017-08-17

「エブリシング」
カメラがとっても美しいし、画面センスが素敵なので、とってもピュアなストーリーの空気が綺麗に出ていてちょっといい映画でした。ラストの展開は原作があるので仕方ないのですが、その展開も、全体をスタイリッシュに処理しているので、心地よく終わらせてくれます。監督はステラ・メギー。

ガラス張りの部屋で暮らす主人公マデリンのショットから映画が始まる。SSIDと呼ばれる免疫障害で一歩も外出ができず、限られた人としか接することもできない彼女は医師である母の元で完全無菌状態で生活をしていた。室内の調度品がいかにも洒落ていて、全体のバランスが実に美しい。そんな彼女は空想の中で外に飛び出し、海を泳いだりしていた。

ある日、隣に家族が引っ越してくる。そして、その家族の青年オリーにすっかりマデリンは惹かれてしまうのです。直接会えないマデリンとオリーはネットなどを通じ、頻繁に会話するようになります。

しかし、惹かれるにつれて会いたい気持ちが高ぶり、マデリンは無理を言って、なるべく距離を置くとい条件でオリーを部屋に入れる。そして、つかの間の会話を楽しむが、次第にマデリンの想いも募り、とうとう、独立記念日の夜、誰もいないことを良いことにマデリンはオリーと口づけをする。

オリーの父親はどうやらDVのようで、いつもオリーと口論をしていた。ある時外で二人が喧嘩しているのを見かけ思わず飛び出すマデリン。マデリンには自分の体よりもオリーとの関係が次第に重要になって来ていた。

母の干渉が日に日に強くなって来たある日、マデリンは決心する。自分がどこまで耐えられるのか?そして、念願だったハワイの海に出かけるべくオリーに助けを求め旅立つ。そして、人生で最初の最高の時を過ごすのですが、ホテルで彼女は昏睡状態になり救急病院へ運ばれる。

一命を取り留め、自宅に戻ったマデリンだが、当然オリーと会うこともできなくなっていた。やがてオリーたちはDVの父から別れニューヨークに旅立ってしまう。

そんな時、ハワイの救急病院から通知が来る。マデリンはSSIDではないというのである。慌てて、母が記録しているカルテを探すがそこにはSSIDに関する記録は何もなかった。

マデリンの母は、愛する夫と兄を事故で亡くしそのショックでマデリンも失くすことを恐れて彼女を閉じ込めていたのである。

マデリンはオリーを追ってニューヨークへ旅立つ、そして彼と再会するところで映画が終わる。

室内のみならず、街の様子やハワイの景色などカメラが本当に美しい。主演のマデリンを演じたアマンドラ・ステンバーグがちょっと太めながらとっても笑顔がキュートで素敵。彼女だったからこそ成立したような映画です。終盤の展開で好みがわかれるかもしれませんが、私は楽しみました。


「少女ファニーと運命の旅」
実話に基づいた逃避行映画です。しかも舞台は第二次大戦中のユダヤ人の話。まだこの手のネタがあるかという感じですが、素直に感動してしまいました。監督はローラ・ドワイヨンです。

1943年フランスの児童施設で暮らすファニーと妹たちだが、ユダヤ人ゆえ、密告されて児童施設が危うくなる。そこで施設長の判断でフランスからスイスに脱出することを計画する。しかも、大人は身分証を要求されるので、子供達だけを列車に乗せることにする。しかし列車は途中でがけ崩れで止まり、ファニーたちは徒歩でスイスを目指すことになる。

途中様々な人に助けられながら最後の最後でとうとうスイス国境にたどり着く。物語は実話でもあり、大きく変えられていないのだろうが、途中のエピソードの挿入、配分もうまいし、子供達同士のドラマもそれなりに描けている。単純にハラハラしながら最後は良かったと胸が熱くなる。

普通の作品かもしれませんが、子供達を演じた役者たちが実に好感で嫌味がないので、どんどん引き込まれます。何度も取り上げられたナチスユダヤ人迫害という今や月並みな物語なのですが、ドラマとしてみれば良かったなぁと思える映画でした。

映画感想「ローサは密告された」「海辺の生と死」

kurawan2017-08-16

「ローサは密告された」
フィリピンの下町を舞台にした物語ですが、第三国映画に見られがちな手持ちカメラと長回しによるドキュメンタリータッチの映像でリアリティのある緊迫感を出して行く。ただ、淡々と抑揚のない物語当展開はかなりしんどくなってきます。監督はブリランテ・メンドーサという人です。

雑貨店で販売する小物を仕入れに大型スーパーに買い出しに来た主人公のローサの姿から映画が始まる。レジでは、お釣りがないからと飴を渡されそのまま大量の荷物を持ってタクシーに乗る。

うらぶれた下町の自分の店にやって来て、仕入れた駄菓子らしいものを並べる。しかし程なくして、警察が踏み込んでくる。雑貨店の収入では生計が立たないローサはわずかな麻薬の密売もしていたのだ。

夫とともに逮捕され拘留されたローサは、警察で仕入先の名前を密告させられ、さらに5万(単位がわからない)という保釈金を要求される。子供達は母親のため、長男は家財を売りあるき、次男は体を売り、長女は知り合いを回って金を集め始める。

ようやく集まった四万六千を持って戻るが、足りないと言われ、ローサは娘の携帯を4000で質に入れることに成功。そこで小銭を恵んでもらい、露天の菓子をほうばりながら、ローサと同じよな屋台で駄菓子を売る人をじっと見つめて暗転エンディングとなる。

ローサを演じた女優がカンヌで主演女優賞を取ったというが、それが話題とは言え、正直、フィリピンの現場を知らない我々にはこの映画の価値は見えない。麻薬撲滅に強行的な手段を取っているフィリピンの現実を踏まえた上での作品という評価なのですが、さすがに、理解しきれなかった。


「海辺の生と死」
これほどまでにゆるゆるで役者任せの演出は意図したものなのか、監督に才能がないのかわからない出来栄えの映画でした。しかも脇のシーンの演出が全くなされていないので、映画が締まらない。ここは助監督の仕事ですがそれが機能していないのでしょうか。さらに
永山絢斗のセリフが所々ボソボソと聞こえない。これも演出か?監督は越川道夫。

奄美群島の島、国民学校の教師トエが子供達と森の道を歩いている場面から映画が始まる。ところが道の途中に日本兵が何やら通行止をしている。時は第二次大戦末期、特攻艇をこの島から出撃するために小隊が配属されて来たのだ。

隊長の朔は小学校を訪ねて、兵舎で読む本を借りようとするが、そこでトエ先生と出会う。いつの間にかお互いが惹かれ、ある夜、朔はトエ先生を入り江の小屋に呼び出す。そして次第に逢瀬を重ね二人は気持ちを一つにして行く。

という展開であるが、所々に挿入される戦争の空気感を見せるシーンが実にお粗末。さらに子供達や脇役への演出が雑なので、緊張感が見えない。もちろん、沖縄本島ではないので、戦争の恐怖は直接は見えてこなくて当然かもしれないが、敵機がトエ先生と子供達に襲いかかってくる時さえも、非現実な演出がなされ、朔中尉の身のこなしさえも役者任せ、しかも、満島ひかり扮するトエに対しても任せきりというのは良くない。

一体この監督は何を描きたいのか、脚本にしても良く描けていない気がします。

結局、特攻艇は出撃せず、終戦を迎える。朔からトエに届いた手紙には「元気です」と書かれていてエンディング。

途中、真っ暗な海を岩場伝いに朔の待つ小屋に向かうトエの場面も迫力もなく、なんとも全体が緩いし、2時間を超える長尺。なぜか満席で立ち見状態だがよくわからなかった。

映画感想「フェリシーと夢のトウシューズ」「夜明けのうた」「執炎」

kurawan2017-08-15

「フェリシーと夢のトウシューズ
やっぱりアニメはディズニーでないと夢は見られないですね。とにかく、ストーリーの配分が良くないし、見せるところが見せ場になっていないので、楽しめない。オペラ座の振付師が担当したという場面が本当に少ないし、主人公が夢を叶えるといううっとり感が今ひとつなのは残念でした。監督はエリック・サマー、エリック・ワリンという人です。

舞台は19世紀末、まだエッフェル塔も未完成で、自由の女神もアメリカに渡っていないフランスパリ、バレエダンサーに憧れる主人公のフェリシーは孤児院施設を友達と脱走、パリへ向かう。

そこで知り合った女性の下働きを始めるが、たまたまオペラ座のバレエ学校の入学許可書が雇い主の娘にきたのをいいことにそれを使って学校へ潜り込む。この展開自体がまず夢がないですね。どこか俗っぽくスタートしてあとは例によって、それがバレてしまうけれど、バレエ学校の先生に認められ、一旦は追い出されるも再度戻って、初舞台踏んでエンディング。

いたるところにアニメらしいシーンを放り込んでいるにもかかわらず、どこかお話が大人向けで世間擦れしているのが、その度に夢を壊されるという感じです。夢物語なのに擦れているという中途半端が気になって仕方ない。

こうしてみると、本当にディズニー映画のうまさを実感してしまいます。それに、せっかくのバレエシーンもわずかだし、もったいないと言えば勿体無い映画でした。


「夜明けのうた」
蔵原惟繕監督作品ですが、ちょっとした出来上がりの素敵な映画でした。全体の物語の見せ方からラストの畳み掛けがとってもうまくいったという感じです。岸洋子さんの「夜明けのうた」をモチーフにした物語ですが、ギュッと凝縮されたテーマが一気に放出されるラストは見事です。

大人気のトップ女優緑川典子が仕事を次々とこなし、やっと終わったと思ったら夜明けというシーンから映画が始まる。豪華な外車を用意され意気揚々としている彼女に次のミュージカル舞台の台本「夜明けのうた」が渡される。

ホテルでは愛人が待っているが、そそくさと帰る。新車で出かけたものの、眠気で力尽きドライブインで帰る手段を考えているところへ、若いカップルが名乗りを上げて東京まで戻る典子。そして、自分の経歴をミュージカルにした「夜明けのうた」はでないとプロデューサーに宣言する。

物語はここから、その夜一晩の出来事を描いて行く。若いカップルの女性は間も無く失明する病気を抱えていて、何かの壁にぶつかりもがく典子は彼らのために、いろんな場所を連れ回し始める。そして若いカップルはやがて前を向いて進む決心をし、典子と別れる。

典子が自宅に戻ると、ホームパーティの残骸が散らばっている。典子は自ら片付け整理して、脚本家に電話をする。あの舞台に出たいと。脚本家は窓を開けて外を見なさいと言い、典子がカーテンを開けると、美しい夜明けと、国立競技場の屋根が見える。若いカップルは結婚を決めて田舎に帰るカットが挿入され、細かいシーンで最後を締めくくる。こういうエンディングは蔵原惟繕監督はうまいなと思う。いい映画でした。


「執炎」
これは素晴らしい名作、冒頭から引き込まれて画面から目を離せなかった。物語の展開、浅丘ルリ子扮する主人公の圧倒的な迫力、美しい画面作り、どれもが映画として迫ってきます。監督は蔵原惟繕です。

山陰の漁村、これから葬儀のような行事が行われようとしていて、山に住む村人と浜に住む村人が挨拶を交わし、やがて船に乗り込んで供養する場面から映画が始まる。かつてこの村で1組の夫婦が戦争によって引き裂かれ命を失ったことによる供養のような慰霊行事である。そして物語は当のきよのと拓治が出会う少年少女時代にさかのぼる。

やがて成人となった二人は、会うべくして再会し、二人は恋に落ちて行く。献身的に愛を与えるきよのとそれを受け止める拓治、村人達からも祝福されやがて二人は結婚する。しかし、すぐ目の前に大きな戦争が迫っていた。

間も無く、拓治は出征、愛するきよのは無事だけを祈るものの、根っからの堪え性のない精神の細さは逆に彼女を強くしていく。

程なくして拓治は戻るが足に重傷を負っていた。医師が足を切るというのを反対し、必死で看病し奇跡の回復をした拓治はきよのの希望で山奥の小屋に二人きりで暮らすようになる。やがて、拓治の足も完治し、幸せな暮らしが続くが戦局は混迷を極めて行く。

そして、再び赤紙が届き拓治は出征、狂ったように神社に祈るきよのはある夜、昏睡状態になりそのまま心神喪失となってしまう。そして、やがて、終戦の年の6月、拓治の戦死の訃報が届くが、きよのは認識することもできなかった。

しかし、終戦の日の盆踊りの夜、余部鉄橋をぼんやり歩いていたきよのは走ってくる汽車を避け、汽笛に耳をふさいだ途端、若き日、拓治と同じ行動をしたことを思い出し、意識が正常に戻る。そして家にかけ帰ると、そこには拓治の遺骨があった。

家族の心配の中、きよのは懐かしい小屋を訪れ自宅に戻ると、仏壇の前で髪を切り、そのままがけに出て身を投げる。

雪景色の村を真上から捉えるショットや、美しいススキの中の二人の抱擁のシーン、桜の枝の隙間から静かに捉える縁側のシーンなど実に美しいし、浅丘ルリ子伊丹一三の迫真の演技が素晴らしく、映画に物凄い迫力と執念に囚われた恋の物語を描いてくれる。

山の村人であるきよのと海の村人である拓治の存在感も非常に情緒的で美しく、脇で描かれる郵便配達の男達や、それぞれの家族、兄弟の描写、能の効果的な挿入など素晴らしい効果をもたらしている。何もかも完璧とは言えないまでも相当な完成度に日本映画の実力を見た気がしました。素晴らしかった。

映画感想「静かなる情熱エミリー・ディキンソン」「何か面白いことな

kurawan2017-08-14

「静かなる情熱 エミリ・ディキンソン」
死後、1800編の未発表の詩が発見された詩人エミリー・ディキンソンの半生を描いた作品ですが、どうもエミリーがただクソ生意気な女性にしか見えず、激しい情熱の背後にひぞむ才能が見えなかったために、ただ、気の強い女の物語にしか見えなかった。私個人の私見だったかも知れませんが、そういう作品で、これというほどの映画ではなかったかなと思います。監督はテレンス・デイビス

女学校でしょうか、主人公エミリーが気の強いところを見せるところから映画が始まります。あとはほとんど自宅の屋内での物語になり、何かにつけ言葉で論破して行くエミリーの描写が続く。

姉の結婚、兄の不倫、そして父の死、母の死、恋、すべてのシチュエーションで辛辣な言葉でしか表現できず、周囲から困惑されてしまうエミリー。もちろん詩の才能、繊細な感受性は持っているはずであろうが、その知性が見えてこない。

結局、エミリーは腎臓の病気を抱えていたようで、最後はその病で死んで行く。特に目を引いたシーンは、エミリーに求婚してきた男性を追い返してのち、ゆっくりとエミリーの部屋の扉が開いてエミリーのなんとも言えない表情が映し出された時でしょうか。全体に、とにかくエミリーの罵声に近いセリフが響くのが気になったように思えた映画だったかなと思います。つまり好みではないといことですね。


「何か面白いことないか」
導入部はびっくりするほど上手くて、ワクワクしてくるのですが、みるみる方向性が訳が分からなくなってきて、ラストはじゃあなんだと終わらせる、まさに怪作というような娯楽映画でした。監督は蔵原惟繕

毎日の生活のマンネリ化にうんざりし始めた若いカップルが、とある喫茶店で一人の男裕次郎扮する次郎とであう。彼は元旅客機のパイロットで、おんぼろセスナ機を入札するために会社を辞め、なけなしの金で飛行機を買う。しかも、生命保険に入って分割返済できなければ保険で返すという。

この辺りまではハチャメチャながら楽しいのだが、台風の夜、浅丘ルリ子扮する飛行機の売却人が飛行機を止めていたロープを切り、飛行機が大破。裕次郎は返せなくなり、自殺するのではという記事が出て、アレヨアレヨと野次馬記者が詰めかけてくる。この辺からもうめちゃくちゃな展開が進む。

なぜか妙な陰湿さが出てきて、何が起こるのかわからない方向へ突き進み、結局エンジンを展示している会社のエンジンを盗んで、それを買い取る契約をして、エンディング。

いや、だからなんだったのという感じである。一体、何を目指したいのか途中からよくわからなくなってしまう映画だった。所々に見せる独特のカメラワークやアングルは面白いのですが、なんとも言えない一本でした


「黒い太陽」
プログラムピクチャーの一本なので、これを単品で評価して良いものかというところなのですが、とにかくイライラするストーリー展開に参ってしまった。ラストのショットはおおっとうならせてくれるが、途中がとにかくやけくそのように時間稼ぎをする展開になってしまっている。監督は蔵原惟繕です。

廃墟の教会で暮らす主人公の若者は、ブラックミュージックのジャズが好きで、傾倒している。そんなねぐらに機関銃で殺人事件を起こした黒人が逃げ込んできて、あとはひたすらこの二人の掛け合いと逃避行が繰り返される。

もう終わってもいいと思えばまた繰り返されるストーリー展開がしつこい上に、黒人の英語もよくわからないし、対する主人公の適当なセリフの羅列も鬱陶しい。

結局追い詰められて、黒人はアドバルーンに自分を結びつけて大空に飛んで行く。主人公は逮捕されエンディング。黒人が太陽と重なってタイトルの意味するところとなるのですが、同様の作品の「狂熱の季節」と全然違った。

映画感想「ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章」「

kurawan2017-08-11

ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章」
この手の映画を三池崇史監督が作ったのだから、どんなものになったのかと思ったが、ものすごく真面目に、ドラマとして仕上げているのには若干戸惑ってしまった。もう少し吹っ飛んだ映画を予想していたので、そのギャップに感激。序章としての役割を果たしたという感じです。ただ、クライマックスの説明シーンが異様なくらいに長くて、映画の半分くらいひたすら理屈をこねてるのではないかと思うほどでした。でも、平べったい仕上げにしなかったのはある意味成功だったかと思います。

原作があまりに有名なので、今更ストーリーを呼び返すことは必要ないと思うので、おいておきます。

スタンドという超能力を使うことができる主人公、その頭はふた昔前くらいのリージェントで、その頭を茶化されると途端にキレてものすごい力を発揮する。

この学校に転向してきた神木隆之介扮する普通の高校生と、通称ジョジョと呼ばれる、やたらモテるが、なんでも壊しては作り直すことができるスタンドを駆使する主人公と、この街に起こった奇妙な殺人事件を解決する。

水を自由に操るスタンドを手に入れた異常な殺人鬼が物語の前半を覆い、そのスタンドを与えるきっかけになる弓矢を操る兄と空間を切り取ることができる弟との戦いが後半。

ただ、この兄弟、特に弟とジョジョは最後は仲間になって町を守ることになるという次回に続く流れになって終わる。意味深な小松菜奈扮する女子高生が恐らく最後に突然出てきた化け物を操る何者かの黒幕ではないかと思う。ただ、小松菜奈のセーラー服生足が妙にエロいのが気になったりして。

クライマックスをもう少しあっさり締めくくっても良かった気がするが、一級品の仕上げを狙ったのだろう、とにかく、長いし、くどい。でもなかなかの仕上がり具合の映画でした。


スパイダーマン ホームカミング」
ここまで庶民的でリアリティに作り上げたアメコミ映画もなかったのですが、ある意味、派手なCGで見せるのは限界がきたということではないでしょうか
その意味では、ちょっと楽しめた気がする映画でした。ただ、笑いのシーンはちょっとアメリカ的すぎて、誰も笑ってなかった気がします。

アベンジャーズが派手な戦いの末、町を破壊してしまい、その後始末をしている場面から映画が始まる。宇宙からの侵略者が残した物質を、処分していた業者が一部持ち出して8年後、主人公ピーター・パーカーはすでにスパイダーマンで、スタークの元で仕事をしているという大前提から始まります。

業者はそれを元に新しい武器を作っては売却し富を得ていた。しかも、最新の注意をしていたのでFBIにもアベンジャーズにも見つからず成功裡に進んできた。この無理のある展開もネタの限界を感じさせる。

ピーターは近所の何気ない犯罪を防ぎながらどこか物足りなさを感じている一方で、学校では親友にスパイダーマンだと悟られたりもする。そしてリズという一人の少女に恋心を持ち、ホームカミングのパーティのお相手に選んでもらう。

蜘蛛の糸で跳び回るシーンは、サム・ライミ版と違い、ビルがないのでその躍動感はなく、どこかみじかなヒーローとして描いて行くのはそれはそれでありですね。

そして、クライマックス、実はリズの父親が武器を作っている業者のボスだったというサプライズから、ラストのバトルへつながる。

あとは、いつもの通りという感じのエンディング。面白かったけれど、ネタも尽きてきた感がひしひしと感じます。