「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ディストピア パンドラの少女」「ドッグ・イート・ドッグ

kurawan2017-07-04

ディストピア パンドラの少女
いわゆるゾンビ映画である。ウィルスのパンデミックで凶暴なハングリーズと化した人類たち。彼らは生肉を貪るゾンビのような存在となっていた。世紀末を舞台に生き残った人々がわずかに抗体を持ったセカンドチルドレンの研究を続け、再生に向けて生活をしている。例によって人間を襲ってくるゾンビ化した化け物たちとのバトルですが、どこか高級品のごとき空気が漂うのはやはりイギリス映画だからでしょうか。面白いというより考えさせる映画で、スリリングなサスペンスもそれなりに見れる映画でした。監督はコーム・マッカーシーという人。

とある軍事施設でしょうか、一人の少女メラニーが数字を数えている。間も無くして呼び出しの罵声が聞こえ、彼女は車椅子に自らを拘束して待つ。そこに武装した軍人が現れ彼女を拘束して車椅子で別室へ。そこは彼女のような子供たちが集まり、これからヘレン先生の授業を受けるのである。しかし、彼らは見た目は子供だが、生き物の匂いを嗅ぐと途端に凶暴になり襲いかかる化け物だった。

抗体を研究しワクチンを作ろうとするコールドウィル博士は、毎日メラニーに任意の数字を言わせ、その番号の子供を解剖して研究していた。ある日メラニーは自分の番号を言い、彼女はコールドウィル博士の研究室に連れて行かれる。かねがねメラニーの聡明さに目をつけ、子供達が研究のため解剖されるのに耐えられなかったヘレン先生はメラニーを救うために研究室へ。

折しも、ハングリーズから基地を守るために築いていた柵が破壊されハングリーズが襲いかかってくる事態になり、メラニーとヘレン、コールドウィル博士とエディ軍曹とその部下がかろうじて脱出、こうして物語が本編へ進む。

世界中に蔓延したハングリーズたちの中を潜りながら次の基地へ移動するべく進むメラニーたち。メラニーはハングリーズと同種のため襲われることがないので、慕っているヘレン先生たちのために行動する。しかし、すでに第2期に入ったハングリーズたちは植物と共生し、ウイルスの入った種子を実らせていた。

なんとか移動研究室に立てこもったメラニーはたちだが、エディ軍曹の部下も死に、コールドウィル博士は」メラニーを解剖して、ワクチンを作るために協力してほしいとメラニーに懇願する。

そして、十分考えた末、メラニーは一人、彼らを残して夜の街に出る。手にはマッチを持っていた。容易に種子の袋は開かないが、火事や地震などで開き世界は滅亡するだろうというコールドウィル博士の言葉を実践しようとしたのだ。そして巨大な塔に蔓のように茂った種子の木にメラニーは火をつける。次々と種子が開き、ウイルスが空中に広がっていく。

ラニーの後を追ったエディも感染し、メラニーに撃ち殺してもらう。メラニーを追ってきたコールドウィル博士はハングリーズの子供達に襲われる。唯一、研究車に残ったヘレン先生はガラスを通じてメラニーと会話し、やがて、研究車の中からハングリーズの子供達に授業を始めて映画は終わる。

単純なゾンビホラーという範疇に入らない、何か考えさせられる一本で、世界がウィルスに侵され、普通の人間は死滅、新たなハングリーたちが世界を覆ってしまった悲劇的な展開と、一人残ったヘレン先生が続ける子供達への授業に何かの意味を見出してしまうべき映画なのだろう。


ドッグ・イート・ドッグ
監督をしたポール・シュレーダーといえば、名作「タクシー・ドライバー」の脚本家である。そんな彼は一体狂ってしまったのか、完全にぶっ飛んだ映像を作り上げたという感じの映画だった。まるで、ドラッグを吸いまくってその勢いで撮影をしたのではと思える世界観で最初から突っ走る。何が何かわからないままに、結局全てが幻覚だったのではと思いたくなる映画だった。

コカイン中毒のマッド・ドッグがテレビを見ている。いかにもラリっている風で映像も異常、部屋の中はピンク一色で花柄、トイレはブルーの光。

これだけで、ええ?というほど呆れるのだがそこに元妻と娘が帰ってきて、何やら会話の後ふたりをうちころす。

刑務所勤めを終えてきたトロイはかつての仲間マッド・ドッグとディーゼルと再会したらしい映像に何やらこれまでの経緯らしきものが展開するのだが、どれもこれも無茶苦茶にやりたい放題。

そしてチラシにも書いてある、大金を手に入れるために借金をしている男の赤ん坊を誘拐するという仕事を請け負うが、押し入ってみたら一人の大男が出てきたので頭をぶっ飛ばして殺してしまうことになる。実はこの男が金を払ってもらう借金をした男らしく、わけがわからないままに三人は逃げる。

あとはもう、サイケデリックな映像に包まれながら、やりたい放題の映像展開で何が何やらわからず、途中でマッド・ドッグを殺すことになり、二人でスーパーに行ったところで警官に目をつけられ、警官との銃撃戦の末に色々あって二人とも死んでしまってエンディング。

なんなのだ?ただそれだけの映画で、一貫性も、卓越した面白さも、ではアクションかというとそうでもなく、わけがわからない混沌としたまま終わってしまう珍品映画だった。


「Viva!公務員」
映画のクオリティは大したことがないのですが、非常に自分の生き方を考えさせられる一本でした。その意味で有意義な映画だった気がする。監督はジェンナーロ・ヌンツィアンテという人です。

主人公ケッコが、アフリカでしょうかジャングル奥地に進んでいるシーンから映画が始まる。30年壊れたことがない車が故障し、降るはずのない雨が降り、出てくるはずのない原住民が出てきて捉えられてしまう。丸焼きにされないために酋長のいうままに自分のこれまでの物語を語り始めて映画が始まる。ちょっと強引ながらこの導入部は実に映画的でうまい。

主人公のケッコは幼い頃から父の影響で公務員を目指してきた。そして念願の公務員になったものの、時の政府の政策で大幅経費削減のため大胆な人員削減が実行され、ケッコもその対象になる。彼に退職を迫る上司が次々とサインを求めてくるが、必死で抵抗するケッコ。物語は彼にサインをさせるべく次々と僻地への赴任を強制し、それに耐えながら乗り切っていくケッコの姿をコミカルに描いていく。

そして、何度目かの赴任先がノルウェーの北極圏、絶望したケッコだがそこでバレリアという魅力的な女性と知り合い恋に落ちる。

こうして書くと平坦ですが、実にしつこいほどにイタリアンコメディタッチで展開する物語はコミカルで、日本では受けないかもしれないお国柄はありますが、退屈せずに見ていられる。

しかし、バレリアはとうとう、ケッコの行動と自分の実績が生かされない毎日に嫌気がさし家を飛び出す。しかし、どうしても退職届にサインしないケッコに根負けした上層部は彼を元の職に戻り、リストラ担当の部長は左遷される流れとなるが、そこに届いたのは、バレリアからの妊娠したという連絡。しかもケッコが父親だということで、早速バレリアのいるところへ向かう。それが、冒頭のアフリカの場所なのだ。

こうして無事女の子が生まれ、退職届にもサインするからと担当者をアフリカに呼び寄せ、その金の一部を地元の病院のワクチン購入に当てる。このさりげない慈善描写が嫌味がなくて実にいい。

こうして物語はハッピーエンド。なんか、自分の今の生き方に疑問を持ち考え直してしまうクライマックスで、思わず胸に訴えかけてくるものを感じてしまいました。その意味でとても良かったと思います。