「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ファウンダー ハンバーガーー帝国のヒミツ」「甘き人生」

kurawan2017-08-07

「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ」
実話に基づいた一人の男の成功物語、というか、何故今までこの話が映画にならなかったのかというレベルの物語で、もっと史実的な映画かと思ったのですが、えらく楽しく観れた。というより全く退屈しなかった。監督はジョン・リー・ハンコック。脚本がロバート・シーゲル。そして主演はマイケル・キートン。この取り合わせが良かったのだろう。

ミルクシェーカーを売り歩く一人の営業マンレイ・クロック。機械を抱えて担当者と話すが、結局相手にされないシーンが繰り返される。ところがある日、会社に電話をするといっぺんに6台注文が入ったという。半信半疑で電話をすると、実は8台いるのだと返事が来る。

興味を持ったレイはその注文店に行ってみると、なんと30秒でハンバーガーを出す画期的なシステムで回るハンバーガー店があった。そして、その店の未来に勝機を見たレイは早速フランチャイズ化の交渉を始める。その店こそマクドナルドだった。

こうして本編が始まるが、こちらに正面切って訴えかけてくるマイケル・キートンのアップが繰り返され、最初は乗り気でなかったマクドナルド店のディックとマックの兄弟も、次第にレイという男に翻弄され始める。

そして、次々と新店舗を開店させて行くが、レイには思ったような利益が流れ込んで来ない。銀行に運転資金の交渉をして断られたところに声をかけて来たのが経営のプロフェッショナルな男。

そして、その男のアドバイスで、土地を買い、リース契約で次々と店舗を広げ、その管理法人を別に設立し、ディックたちからの束縛をかわして急成長を始める。そして最後には、マクドナルドの商標まで勝ち取り、ディックたちの店を無名のハンバーガー店にしてしまう。

いわゆる、野心家で起業家の一人の男のなりふり構わず邁進し成功した物語である。これが正しいことなのかどうかという道徳論に触れることは一切せず、アメリカ的なビジネスライクな描き方に徹したのがかえってドライなイメージで物語を展開させ楽しめたのだろう。

ここに、余計な感情論や人情論をわずかでも忍び込ませたら、退屈な映画になっていたかもしれない。ここは脚本家の腕でもあり監督の演出力だったのでしょう。そしてマイケル・キートンの存在感も功を呈した感じです。面白い映画でした。


「甘き人生」
たくさん映画を見て来ると、自分の感受性の範囲を超えた作品に時々出会ってしまう。いい映画だし、作品のクオリティも抜群なのはわかるのですが、入りきれない映画、それが今回の作品でした。

物語は一人の人間の切ない思いの丈を綴ったものだと思うし、繊細な映像表現を見ていればそういう映画なのだとわかる。挿入される細かいカットやフラッシュバックの映像に監督の細やかな表現が込められている。それは分かりながら入り込めないのはこれは女性の視点からの映画なのだろうかと思ってしまった。監督はマルコ・ベロッキオ

9歳の少年マッシモと愛する母親がテンポのいい曲で踊っているシーンから映画が幕を開ける。いかにも仲の良さそうな親子。一緒にふざけ、一緒にテレビ映画を見、一緒に電車に乗ったりしている。しかし、どこか寂しげな表情を時々見せる母。そんな母に寂しさを覚えるマッシモ。そしてあるひ、母がいなくなる。父からは心筋梗塞で突然亡くなったと聞かされ、葬儀も行われる。さりげなく窓を通して雪が降っているカットが何度か挿入されるがなんとも寂しげである。

幼いマッシモには母親が死んだことは信じられず、棺の中にも居ないはずだと叫ぶばかり。そしてあるひ、母絵解きは1990年代、大人になりジャーナリストとして成功したマッシモの姿が写される。しかし、部屋の中は妙に閑散として寂寥感が漂っている。
カメラが何気なく人気のない様子の部屋を捉えるのだが、そこにはマッシモは確かにいるのである。

大人のマッシモと子供時代の彼の姿が交互に描かれ、母親への想いが今尚絶たれていない様子が繰り返される。しかし、マッシモはエリーザという一人の女医と知り合い、何かが変わって来る。そして、母の死の原因が、病気を苦にした自殺だと叔母に教えられる。やがて母親への想いから新たに歩み始めるようになって映画が終わる。

確かに繊細である。いい映画です。なぜか胸にジワリとこみ上げて来るものはありますが、大人のマッシモがやたら髭もじゃでおっさん臭すぎてどうも最後まで入りきれなかった。いや風貌が原因だったかは不明ですが、私の感受性では素直に感動できなかったのかもしれません。本当にいい映画なんですがね。