「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「地獄の曲り角」「海底から来た女」「嵐の中を突っ走れ」

kurawan2017-08-01

「地獄の曲り角」
わずかなツッコミどころはあるとは言え、なかなか面白い犯罪映画でした。娯楽の本質を分かった人が作るとこうなるという典型的な仕上がりがみごと。監督は蔵原惟繕です。

しがないホテルのボーイたちが、ダイス賭博で遊んでいるシーンに始まりタイトル。やって来る客のスキャンダルをヤクザに流して、わずかな金をもらいながら生きる主人公だが、ある夜、一人の男が殺され、そのホテルの部屋で半分に破られた鍵を発見隠し持つ。

間も無くしてその片割れを持つらしい男の情婦が現れ、その女と関わりながら、次なる大金を狙い始める。一方でテープレコーダーにホテルの客の色事を録音してはゆすりを始め、次第に羽振りが良くなって来る。

鍵は、郵便局の私書箱のもので、そこに政治家がらみの裏帳簿らしいものが隠されているらしく、刑務所に入っている、もう半運の鍵を持つ男が出所してきて、その鍵で帳簿を手に入れ、出てきた男はつけられていた何者かに追われて消えてしまう。どこ行ったん?

そして手にした帳簿で政治家らしい男たちを呼び出し金を手に入れたものの、女に裏切られまんまと金を横取りされ車で逃げられる。一方で、主人公にはめられたヤクザが恨んで車のタイヤに細工をしていたので、その車ごと逃げた女は事故で車が炎上。中においていた金も燃えてしまう。

主人公は何もかも失敗。恋人に預けていた原本の帳簿が警察に渡され警察も動き出してエンディング。

いたるところにツッコミどころというか、尻切れとんぼで終わるエピソードが散りばめられている仕上がりがなんとも適当だが、主人公のみをみていればそれなりに面白い。こういう作り方も通っていたという典型的な映画黄金期の一本。楽しめました。


「海底から来た女」
なんとも不思議な映画です。
土着民の古の言い伝えの物語のようで妙に西洋風ななファンタジー色がある。監督は蔵原惟繕

海辺の別荘にやって来ている主人公たち若者が騒いでいるシーンから映画が始まる。主人公のヨットに食い散らかしたような生魚があるので、怒った主人公が掃除に早朝やって来ると、半裸の女性が寝そべっている。そして、日が変わると突然、主人公の部屋にいるのである。

地元の漁師の若者が行方不明で死んだというエピソードが絡み、どうやらこの女はフカの化身であるようで、不思議なあらわれかたをするのだが、いつの間にか主人公はこの女性に惚れていく。この女自体が不思議だなと突っ込んでしまう。

主人公が山に遊びに行ってる時に兄がやって来て、居合わせた女とヨットにで海に出て、突然の嵐で兄が死ぬ。そして戻って来た主人公が女と再会。しかし地元の漁師はその女をかつてこの村に伝わるフカの化身だと決め、待ち伏せして襲い掛かり、女は何処かへ消えてしまう。

やがて夏休みも終わり、主人公は未練はあるものの東京へと帰ってエンディング。当時としてはなかなかの水中撮影だったのだろうが、今見ればそれほどでもないし、フカの化身の女もこれというほどの美貌でもプロポーションでもない。ちょっと話題性の作品という一本でした。


「嵐の中を突っ走れ」
たわいのない話。これといって取り上げるほどでもない典型的なプログラムピクチャーの一本という感じですが、当時の空気が思い切り伝わって来て、すごくいい気分になることができました。映画が娯楽の王様で、ふらっと立ち寄った映画館に大スター石原裕次郎が暴れまわっている。そして、適当に出てまたブラブラと歩く。古き良きと言えばそれまでかもしれませんが、とっても楽しむことができました。監督は蔵原惟繕

一人の熱血教師の主人公。石原裕次郎扮する教師が颯爽と体操や乗馬や喧嘩をして物語が始まる。そして、喧嘩が元で大学の助手をクビになり、館山の漁村へ。そこの女学校の教師になり、生徒たちにモテモテのくだりから、地元の漁業実験の裏を暴いていくというなんとも適当な展開でどんどん大活躍の石原裕次郎

悪者はやはり地元の組合長であったり、何やら真面目な学者が出て来たり、漁師に見えない漁師が最後は立ち上がり、愚連隊らしき男どもと大げんか。すべて丸く収まり、去っていく石原裕次郎を見送ってエンディング。

いいなぁ。これが本当の映画なんじゃないかと思います。古き昭和の一時代が伝わって来るような空気感に酔いしれてしまいました。

映画感想「霧の中の男」「俺は待ってるぜ」「風速40米」

kurawan2017-07-31

「霧の中の男」
モノクロームの影絵のような絵作りがとにかく映画的で美しい作品で、前半のサスペンスフルな展開と後半のくどいほどの回想シーンが完全にバラバラなのは別とすればちょっとした作品でした。監督は蔵原惟繕です。

車の後部座席からのカメラで前に座る二人の男と、ワイパーの動きを捉えるシーンから映画が始まり、この二人のやくざ者が一人の女を交えて、或る人殺しをする。

一方ガソリンスタンドを営む若者の恋人の父親は警察官で、たまたま娘が恋人のスタンドに出かけていく。霧が深く身動き取れないまま、泊まることになるが、そこへ、無理をして逃亡してきた冒頭の二人の殺し屋ガソリンスタンドに立ち寄ることになり、とサスペンスが盛り上がるが、実はこの殺し屋の一人がスタンドの若者の兄貴と戦友で、過去に撃ち殺したことがありという回想シーンが膨らみ、どんどん話があらぬ方向へ行って、最後は、悪者は死んで大団円。

ストーリーの組み立てはどこかちぐはぐながら、横に長い画面を見事な分割で捉え、影絵のような画面作りがとにかく美しい。霧の中でどうしようもない閉塞感と陰影が醸し出す独特のサスペンスが絶妙。終盤の回想シーンを思い切って外せば傑作だったのではないかとさえ思える映画だった。


「俺は待ってるぜ」
とにかく、構図が抜群に美しい。バチっと配置された街灯や彼方の船、人物を手前と奥に置いた岸壁など恐ろしいほどに見事なのです。どこか日本離れした作品作りに引き込まれる。しかも、喧嘩シーンやあ回想シーンのオーバーラップとカットバックの見事な編集にも感動。蔵原惟繕監督のデビュー作、素晴らしかった。

一人の男の足元を追っていくオープニングからポストにエアメールを投函してタイトル。汽車が近くを通るカフェを経営する主人公は一人の女と出会い、自分のカフェに泊まらせてやる。しかしこの女は以前いたキャバレーで襲われそうになり逃げてきた女。

一方主人公の青年は元ボクサーで、喧嘩で人を殺したため、ボクシングの夢を捨て、ブラジルにいる兄貴から呼ばれるのを待っている。しかし出せども出せども返事のない手紙。

やがて物語は女が勤めていたキャバレーのボスが主人公の青年の兄貴を殺したことがわかり、その復讐をして終わる。

モノクロームの陰影の使い方のうまさ、みごとな構図、とにかくこれが映画の画面だと言わんばかりの傑作だと思いました。見応え十分な日活全盛期の一本と言えます


「風速40米」
映画の出来栄えは普通ですが、やはり石原裕次郎が出るとそれだけで映画が大人びて華やかになります。この存在感はすごいなと思う。監督は蔵原惟繕

大雨の山小屋から映画が始まる。雨宿りに入ってきた女性登山者に先に小屋にいた不良若者が絡み、それを裕次郎扮する主人公と友人が助けて物語が始まる。

帰ってみれば、就職活動で父親から大手建築会社に入るように勧められていて、父の再婚相手に娘がいて、その娘が先日の山小屋で出会った女性で、父は自分の務める建設会社に息子を勤めさせたがらない。

その理由は、父がわざと工期を遅らせ株の値打ちを下げて大手企業に吸収させられる手助けをしていて、といろいろあり亭の適当なストーリー展開。しかも舞台は田園調布のセレブ家庭という、まさに映画のロマンいっぱいの夢あふれる空気がたまらない。

結局目が覚めた父の手助けをして工事を予定通り終わらせ、大手企業の妨害も新聞沙汰になり、何もかもハッピーエンドで、なぜか父は咎められず円満退職と、ツッコミどころ満載ながら、まぁいいやと終わる。

高度経済成長真っ只中の日本の、ある意味がむしゃらな社会情勢を背景にしたほのぼの映画で楽しかった。古き良き時代だね。見所がクライマックスの台風の中のシーンという売りもまた苦笑いしてしまうけど、これが全盛期の映画だと思う。

映画感想「東京喰種トーキョーグール」

kurawan2017-07-29

「東京喰種トーキョーグール」
日本的な抒情的な哀愁を交えた独特の世界観なのかとかなり期待した一本でしたが、普通のアニメの実写映画という仕上げ具合は少し寂しい感じがしました。戦いのシーンも今一つスピード感があるわけでもなく、と言ってグロさを描き切っているわけでもない。主人公はカネキなのですがそのあたりが今一つぼやけていて、ヒロインであるはずのトーカも存在感が薄い。さらに、悪役ではないけれど、喰種を倒すための政府役人二人のおぞましさも今一つ。面白くなりそうなのに、どこか物足りないのです。まだ連載中という制限があるのでしょうかね、期待しすぎという感想でした。監督は萩原健太郎です。

主人公カネキが友達と喫茶店で座っている。そこへやってきたのが、カネキがかねてからあこがれるリゼ。ちょっとした偶然から二人はデートすることになり、意気揚々とカネキは出かけ、リゼとデートし、夜道を語りながら歩いていると、突然、リゼがカネキにかみつく。実はリゼは喰種で、カネキを襲ったのである。いきなりの出来事にどうしようもないカネキだが、偶然、鉄骨が降ってきてリゼは下敷きになる。目が覚めたカネキはリゼの一部を臓器移植して助かっていた。

こうしてカネキは半分人間半分喰種となってしまい、人肉しか食べられなくなってしまう。そして、通っていた喫茶店は喰種のたまり場で、マスターの芳村は彼らの世話を焼いていたのだ。

ここに喰種を駆逐せんと政府から派遣された二人の捜査員が喰種を捜していた。そして目を付けたのが芳村の喫茶店に出入りしている親子。物語はこの親子の話と、それにかかわったカネキが人間である捜査員と戦うことになるくだりを中心に展開するのですが、冒頭の臓器移植場面の医師のインタビューシーンなども意味ありげに描いているはずなのに適当に終わってしまうし、芳村の経営する喫茶店に出入りする喰種たちの背景も荒っぽく流すだけになっている。こういうのが連載物のしかも途中段階での実写化の無理というものですが、仕方ないですね。

クライマックスはカネキとトーカが捜査員二人に戦いを挑み、その中で、喰種と人間が争おうことへの疑問を投げかけるのですが、どこか今一つ訴えかけてくる迫力がない。多分、原作はしっかりと活字を交えメッセージを描いているのでしょうが、ここは脚本家の腕だったかもしれません。

全体に退屈こそしませんが、といって、うまく実写にしたなぁと感動するほどの出来栄えではなかったです。

映画感想「マミー 呪われた砂漠の王女」「世界は今日から君のもの」

kurawan2017-07-28

「ザ・マミー 呪われた砂漠の王女」
この手の娯楽エンターテインメント映画で眠くなったのも久しぶり。体調が悪かったのか映画が退屈だったのか不明な感じで見終わってしまいました。物語が今ひとつつかみどころがなくて、冒頭のとっかかりから展開、クライマックスに至るまでが今ひとつ盛り上がらないように思うのです。監督はアレックス・カーツマン。脚本家としてはなかなかなのでもっと面白い話の展開になりそうなのですが、監督としては才能がなかったのでしょうか?

約2000年前、古代エジプトの王女アマネットが次期王座につけなかったため死の神と契約を交わす。そのため生きながらミイラとされ葬られる場面から映画が始まる。

そして現代、いにしえのお宝を探すニックとクリスはイラクのとある村を眺めていた。地元武装民による遺跡破壊などが行われていた。そこへ飛び込んだ二人は、攻撃を受け、本部にピンポイント爆撃を依頼。やってきた爆撃機が破壊した後に巨大な穴が出現する。そして出てきたのが、たくさんの棺。

それは墓なのかと思ったが、実は牢獄であったようで、考古学者のジェニーらと取り上げ飛行機で飛び立つが、運び出したのはアマネットの棺で、呪いのカラスなどが襲ってきて飛行機は墜落する。

なんとかパラシュートで脱出したジェニーだが、ニックは一旦死んだのち蘇る。これは呪いなのである。

こうして物語の本編へ流れていく様相ながら、どうもニックが軽すぎて、トム・クルーズに似合わない。さらに、アマネットが蘇り、周りのミイラも蘇り次々と人間を襲うが、どうも目的がはっきり見えないのでよくわからないままにストーリーが進む。

結局、アマネットが滅ぼされて、ニックとクリスは呪いがかかったまま、一旦死んだものの生きている風で砂漠を走って行ってエンディング。

特撮シーンも迫力が今ひとつやし、3D上映もあるらしいが、どこがそうなのだろうという画面にしか見えない。そもそもB級ホラーアクションを大作に焼き直すのが無理があるような感じの出来栄えでした。


世界は今日から君のもの
こういう空気感の映画大好きですね。門脇麦を素のままでキャラクターに使ったのは或る意味芸がないかもしれないけど、すごくいい味になっていてほのぼの感の中に、人生って楽しいなと思わせてくれる明るさが潜んでいてとってもいいです。監督は尾崎将也です。

主人公真実が岸壁で海をみている。クラゲが一匹泳いでいてそれを目で追っていて海に落ちてしまう。高校の半ばから引きこもりの真実は父親と二人暮らし。母と父は離婚しているがいまでも連絡はある。機械工場でバイトをしていた真実だが、やめてしまってまた部屋にこもっている。そんな娘に父親がゲームのバグ探しのバイトを見つけてくる。真実はとりあえず仕事に就くが、たまたま昼休み、制作部の矢部が困っているイラストを勝手に修正したことがきっかけで、真実に絵の才能があると知れ、さらに矢部の周りの元カノらも絡んで物語が展開していく。

冒頭部分からして単純な再生物語ではないのはわかるし、せっかく矢部に依頼された絵もすっぽかし、矢部の元カノと出会ってその家で暮らすようになる真実の展開はさらなる面白さを予感させてくれる。

そして、強制されるのではなく自由に書けばいいと言われさらに戸惑いながらも、ふとしたきっかけで、スケッチブックにイラストを一気に書き溜め、それを元カノに見つけられ、矢部の会社の専属のイラストレーターでちょっとクセのある男のアシスタントになって、笑顔をこちらに向けた真実のカットでエンディング。ここちよいですね。とっても見終わった後が好感の映画でした。

少々門脇麦がしつこい演技を見せるところもありますが、あれはあれでいい味といえば言えなくもないし、矢部の元カノや真実の両親もいい味です。唯一中途半端なのは真実の幼馴染のニートの男の子が存在感が見えそうで見えないのが残念。
でも楽しい映画でした。

映画感想「君はひとりじゃない」「ビニー/信じる男」

kurawan2017-07-27

「君はひとりじゃない」
一見、どいう方向に進んで行くのだろうとはぐらかされているうちに本来のメッセージが全くぶれていないことに気づかされるという、映像の効果を最大限に使ったなかなかの演出がひかる一本、見事でした。ベルリン映画祭銀熊賞受賞のポーランド映画です。監督はマウゴシュカ・シュモフシュカというひとで、本国では評価されていますが、日本では初公開となります。

検察官のヤヌシュが車を降り、木々を抜けて行くとそこに首吊り死体がある。その検視を終えて刑事たちと話をしていると、おろしたはずの死体が普通に起き上がり歩き去っていってタイトル。まず、え?、と思わせるオープニング。

ヤヌシュはひとり娘オルガと暮らしてが、どうもオルガの様子がおかしい。妙な言動をするかと思うと、食べたものを吐いていたりしている。

ヤヌシュが呼び出された事件現場ではトイレで赤ん坊を産み落とし殺害した凄惨な現場があり、若い検察官は近づけない。それを物ともせず検分するヤヌシュ。

帰ってみれば鍵をかけてトイレで倒れているオルガ。

一人の女性アナがなにやら霊能力者らしく、無心に文章を書いている。降霊して、死者のメッセージを書き留めているらしい。

ヤヌシュはオルガをセラピストの病院へ預ける。そこのセラピストの一人がアナで、なにやら独特の治療を患者たちに施しているが、病院長はものすごい差別主義者でアナのことを蔑んでいる。アナは8年前に子供を亡くし、それ以来霊能力が身についたのだという。

病院でアナはヤヌシュに会い、一目で、彼のそばに亡くなった奥さんがメッセージを待っていると告げる。

しかも、墓地が水道管の破裂で水浸しになっているのを見抜いたりもする。
霊など信じていないヤヌシュも次第にアナを信じ始め、アナの言う通りにて紙を引き出しに入れて、妻からのメッセージを期待したりもするが、当然なにも書かれていないことを知り、自分に呆れるのだ。

ヤヌシュはオルガを退院させ自宅で暮らそうと決めるが、オルガを引き取った日に引き出しの手紙に文章が書かれているのを見つける。しかも二人しかわからないことなのである。そこでヤヌシュはアナを呼び、降霊会をすることにする。しかし、実は手紙を書いたのはオルガだと告白される

三人でテーブルを囲み、手をつないでじっと耳をひそめる。しかし、妻の声は聞こえてこない。一夜が明けると明け方、アナはいびきをかいて眠っていた。それを見たヤヌシュとオルガはお互い目を合わせて明るく笑う。

二人が立ち直った瞬間であるが、カメラはゆっくりとカメラの家の外の窓から見つめるような視点になる。まるで、亡き妻がじっと見守っているかのように。
言葉で伝えるより、こういう形で家族の再生を目論んだ妻の仕業だったのかもしれない。うまいとしか言いようのないラストシーンに圧倒されてしまった

一見、どう言う方向に進むのか、まるでオカルト映画のごとき展開へ進むかと思えば、一瞬でヒューマンドラマとして締めくくる、この組み立てのうまさが見事なのである。これが映画の描き方だと思う。


ビニー/信じる男
スポーツものというのはラストで感動して然るべしというものなので、素直に見て素直に感銘を受けて感動できればそれでし良し。今回の話は交通事故で再起不能になった元チャンピオンが不屈の闘志で復活して返り咲く話なのだから感動して当然。だからよかった。素直に拍手できる映画でした。監督はベニー・ヤング。

主人公ビニーがこれから計量に向かうために必死で汗を流しているシーンから映画が始まる。そして見事パスして試合。しかし、思ったような結果にならず、半ば首をマネージャーから言い渡される。しかし彼はトレーナーのケビンのもとを訪れ、なんとかトレーニングを続け、重量をベスト状態に2階級アップし、タイトル戦に挑戦、見事チャンピオンとなる。

しかし、たまたま友人と新車の運転に出たところで交通事故にあい、首を骨折、絶対安静と固定手術をうけ、頭と首をボルトで止められた金具を装着することになる。当然、再起は不能と告げられるのだが、ビニーは、密かにトレーニングを始め、ケビンも付き合わせるのだ。

そして半年。固定具が外されたビニーは通常のトレーニングを再開、再起に向け対戦相手を探し始めるが、誰もが尻込みして応じない。しかし、かつてのマネージャーがこれは金になると、タイトルマッチ戦を計画。映画はその試合がクライマックスになる。そして判定勝ちで見事タイトルを奪取チャンピオンとなって映画は終わる。

実話であるからなるべくしてラストシーンに向かうのですが、周辺の人間ドラマはそれほど重視せず、ひたすら主人公ビニーの闘志を中心に描いていくシンプルさは好感。ストレートに一人の人間の強い意志を見据えることができるし、わかりやすく勇気付けられるところだが、その背後にはもともとあった運動能力の才能に帰するところが見え隠れするリアリティがある。その辺りのクールな演出がこの映画の魅力かもしれません。

ボクシングシーンは特に秀でたカメラワークを使わず、ひたすら周辺の人々の意気込みで試合のシーンを盛り上げていく。確かに不屈の精神力で立ち直った一人の男の物語ですが、それは彼だからできたという冷静な視点をしっかり描いている点で優れた人間ドラマかもしれません。真面目ないい映画だった気がします。

映画感想「ボン・ボヤージュ 〜家族旅行は大暴走〜」「アリーキャッ

kurawan2017-07-26

「ボン・ボヤージュ〜家族旅行は大暴走〜」
宣伝で見た通り、かなりの出来栄えのエンターテインメント。こういう映画の作り方もあるもんだと思い切り楽しめました。今はやりのアクションカメラを使ったハイウェイの疾走シーンが抜群にスピード感があって面白いし、ラストの畳み掛けも見事。娯楽映画の常道通りのストレートな面白さを満喫した。監督はニコラ・プナム。

整形外科の夫を持ち二人の子供と臨月の妻を養うコックス家族。主人がベッドで目を覚まし、これからバカンスに行くぞと張り切る場面から映画が始まる。いかにもな真っ赤なスーツや調度品、真っ青なシャツなど、フランス映画的なサイケデリックな色彩配置からしていかにも現実離れした演出から引き込まれる。

最新のコンピューターシステムを搭載したミニバンに乗り込んだ家族に、お騒がせの義父も同乗、いざ出発。途中のドライブインで拾ったヒッピー風の女の子も加わって楽しいはずのドライブが始まるが、いつの間にか車のスピード制御が効かなくなり、どんどんスピードアップ、190キロまで上がったうえにブレーキも効かなくなる。

ここに、ハイウェイパトロールのオートバイ警官二入が絡み、さらに途中でドアを吹き飛ばされたBMWに乗るキレた男も加わって、ハイウェイでスピード感あふれる逃走劇が始まるのだが、60キロ先に渋滞が起こっていることがわかり、突っ込むまでのタイムリミットが設定される。

全ての設定が完了して、あとはアクションカメラによる地面すれすれのスピード映像や、超広角のハイウェイシーン。みるみるスピードを上げて来るBMWやハイウェイパトロールのバイクの疾走感が爽快なほどに面白い。

しかも車内では、義父と妻や子供達の丁々発止の会話劇が繰り広げられ、緊張感が高まっているのか自暴自棄ではしゃいでいるのかの境目を吹っ飛ばす展開が続く。さらに、整形外科の患者の副作用で喚く連絡や、車のディーラーの展示車がhぐあいになってセールスマンがクビになって行く経緯や、このあっけらかんと割り切ったストーリーテリングも最高。

そして、いよいよ渋滞が間近に迫り、まず警官二入が車で並走して子供たちを助け、さらにヘリが到着してサンルーフから妻を助ける。しかし渋滞まで間に合わないと判断した救助員は車ごとヘリを吊り下げる。そして間一髪、渋滞直前で車は釣り上げられて大団円。

まるでハリウッド映画の「スピード」を思わせるような展開で、パニック映画さながらのクライマックスもうまい。

エピローグで、妻は出産、そこに担ぎ込まれたBMWの男は途中で事故になって重症で車椅子でまだ追っかけて来るし、整形外科の手術の失敗で腫れ上がった老婦人は悪態をついているし、散りばめられる脇役のエピソードも楽しめる贅沢な作りになっている。

一級品の娯楽映画で、規模こそ、アメリカ映画に及ばないかもしれないが、車内の閉鎖空間からハイウェイの動く映像世界へ、さらに、渋滞の人々が一気に避難して俯瞰で見せる大きな画面へと、物語のサイス変化も実にうまい。久しぶりに堪能するほどによくできた一本でした。


「アリーキャット」
もう少しつまらない映画かと思ってましたが、結構楽しんでしまいました。窪塚洋介の相方をした降谷建志がいい味を出しているので映画が深みが出た感じです。物語は少々くどいので、もう少しバッサリ切るところがあればスッキリと仕上がった気もするけど、あれはあれでいい空気感を持っていたように思います。監督は榊英雄である。

飼い猫が行方をくらまし、探している主人公朝秀晃のシーンから映画が始まる。見つけたと思った飼い猫のマルは実は猫違いで、保健所に行くとたまたまマルをもらいうけた梅津と出会う。彼はその猫にリリィと名付け、そのままお互いの呼び名になる。

ある日、ストーカーから守ってもらうというボディガードの仕事をすることになったマルは、その対象の冴子をガードしている喫茶店でリリィと再会、たまたま冴子が交渉していたストーカーの玉木が異常な行動になってきたので、取り押さえたため、警察沙汰になってしまう。さらに、玉木は腹いせに冴子が消してほしいと望んでいたデリヘル時代の動画をばらまかれ、冴子が居場所を知られてはいけない人物に居所を突き止められる。

あれよあれよとストーリーがでかくなって行くのがやや不自然ですが、その流れで、マルとリリィは冴子を守る羽目になるのが本編。

どうやら過去に政治家と関わりを持ったことのある冴子、さらにその関係を計画していった経営コンサルタントという闇社会の男とも関わりを戻して行く。無理やり感のある展開ながら、サスペンスとして楽しめるあたりはまぁまぁのできなのだろう。

結局、ストーカーの男も行動がエスカレートして、とうとう冴子の関係のあった政治家さえも最後は殺してしまい、マルも瀕死の重傷を負いながらも冴子を助け出して夜の街へ消えて行く。

エピローグは冒頭に戻って、何事もなく日常が始まるというマルの部屋でエンディング。もうちょっとストーリーの組み立ての意整理をしたらかなり面白い秀作になりそうな作品ですが、役者それぞれが存在感抜群に飛び出して来るのがなかなかの一本。おもしろかった。

映画感想「心が叫びたがってるんだ」「ミツバチのささやき」「エル・

kurawan2017-07-24

「心が叫びたがってるんだ」
オリジナルの方のアニメ版は見ていないのですが、この実写版は予想外にものすごく良かった。役者がしっかりしてるのも理由ですが、脚本がしっかりとラストシーンに向かって書かれている。散りばめられるさりげないセリフがちゃんとラストで生きてくる。原作の味である、危うい揺れ動く人間の心の弱さと思春期のラブストーリーが見事にマッチングして、しかもラストはメッセージが迫ってくる。いい映画でした。監督は熊澤尚人です。この監督作品では「君に届け」でえらく感動したが、どうも私にあっているようです。

一人の少女成瀬順はある日お城のようなところからお父さんが出てくるところを目撃する。しかも女性と一緒に。実はそこはラブホテルで、父親は浮気をしていたのだが、そんなこととは知らない順は母に王子様の話と置き換えて言ってしまう。

それが原因で両親が離婚、順は自分の言葉が人を不幸にしているとおもい言葉をなくしてしまう。そして彼女は高校生になる。こうして物語が始まる。

言葉が話せない順は周りから変わった女の子とみられていたが、クラスメートの坂上拓実と地域ふれあい交流会の出し物の委員に選ばれ、打ち合わせているうちに歌を歌うなら喋れることに気がつく。そして、クラスからはミュージカルをすることになり、じゅんはしゅやくをりっこうほ、クラス全員一丸となって稽古を始める。

同じく委員となった石井杏奈扮する仁藤は坂上の元カノで、同じく委員となった田崎は野球部のエースだったが、自分の肘の故障で部員を甲子園に連れていけなかったことがきっかけでうらぶれていた。

順を演じた芳根京子もなかなか見事な演技を見せるが、周りの役者も芸達者を揃え、しっかりとした演出で紡いで行く青春の物語は、いたるところにさりげない甘酸っぱさを盛り込んで決して飽きさせない。しかも、しっかりとしたメッセージ性はブレないので、芯の通った作品になっています。

活動を続けるうちに順はいつの間にか坂上を好きになって行くが言葉で伝えられない。一方坂上は仁藤への思いが再燃し、本番の前日、視聴覚室で再度告白する。ところがその場を見ていた順はショックを受け、主役にもかかわらず突然歌えなくなってしまう。

そして本番、とりあえず仁藤が順の代わりを演じて舞台が始まる。坂上は順を探し回り、今は廃墟となったかつてのラブホテルで順を発見。順は喋れるようになっていたが今度は歌えなくなっていた。そして、坂上はお互いの想いを言葉にすることを提案。順は思いの丈を坂上に叫ぶ。そして舞台終盤、立ち直った順は最後の歌を歌い演目は終わる。

高校最後のイベントが終わり、委員だった四人が屋上で、心に留めていた気持ちを叫ぼうと提案。フライングした田崎は順に告白、その後全員が叫ぶが画面から声は聞こえない、エンディング。

うん、うまい。終盤、歌えなくなった順を捉えるカメラがグーンと引いて行くシーンからの
クライマックスへの畳み掛けは見事。アニメでは描けない細かい心の変化を表情で見せるという実写ならではのメリットも十分に生かしなかなかの作品に仕上がっていたと思います。いい映画に出会いました。


ミツバチのささやき
数年ぶりの再見、ビクトル・エリセ監督自らが監修したデジアルルマスター版を見る。前回もだったが、今回も現実か幻覚かわからない陶酔感のままに画面の中に引き込まれてしまいました。ただ、映像で語って行く描き方は一種の眠気を誘うことも事実です。

1940年、スペイン内戦の後、とある村に映画の巡業がやって来るところから映画が始まる
。上映されるのは「フランケンシュタイン」で物語の主人公アナはこの映画の世界と現実の世界がいつの間にか混同して行く。

たまたまアナの家の離れの納屋に一人の男が列車から飛び降りて身を潜める。何やら犯罪者風であるが、たまたま納屋に行ったアナがその男を見つけるが間も無くしてその男は父親らと銃撃戦で殺されてしまう。

それを知ったアナのショック、そして夜の森に一人で出かけたアナはそこでフランケンシュタインに出会う。行方を探す両親たちはアナを見つけ、ベッドにねかせる。

一人目を覚ましたアナはベランダの扉を開けて「友達になれは話ができるよ」とつぶやき映画は暗点エンディング。まさにファンタジーの世界である。

この独特の美学と感性は見る人を酔わせる魅力があるが、一方でかなりの芸術色がないわけでもない。とってもいい映画ですが、今回も途中眠気を催した。セリフが少ないのと、余計な説明を排除した映像のみで語って行く散文詩のような語り口に酔ってしまうのです。しかし、この完成度の素晴らしさは監督の才能によるものだと思うし、名作と呼ぶ一本であることは確かです。


「エル・スール」
一人の少女の目を通じて淡々と語られる家族の物語。劇的な物語があるわけでもないのですがどこか繊細で、不思議なくらいに切なく見えて来るのは監督の個性なのでしょうか。
ビクトル・エリセ監督が「ミツバチのささやき」の後第二作として撮った作品です。

ある朝、父の枕の下から振り子を発見した主人公エストレリャは父の死を予感する。父はその振り子で井戸を掘る場所を見つけたりすることができた。こうして物語はエストレリャの回想という形式で父の思い出を語って行く。

主に父の話ですが、その背景にさりげなく描かれる内戦の様子、時の世相を移す映画、などなどが淡々と展開して行く。

少女の目に映る様々な出来事は、繊細に語られ、詩情豊かな画面作りで描かれて行く。ただ、物語が平坦であるがゆうえに、内戦の歴史なども知らないとちょっと退屈と言えなくもない。

父に別の女性ができたのではという思いをする少女時代のエストレリャ。しかし、それは女優の名前であったりする

やがて大きく唸ったエストレリャは父とカフェで過去の話を語り合う。その後、ある朝父は全てを残して消えてしまう。父の死後、エストレリャは転地のために南へ行くことになる
それがエル・スールである。

作品自体は決して凡作ではにけれど、静かな画面をじっと見据える体調でないとちょっとしんどい一本でした。