「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「わたしを離さないで」「大樹のうた」

わたしを離さないで

「わたしを離さないで」
一つ一つ、丁寧に訴えかけるように語っていく演出がすごく静かで好感の品の良いSF映画でした。特に、凝った映像や、娯楽性のある派手な展開もありませんが、いつの間にか、この不思議な物語に引き込まれ、そして、訴えたいテーマに胸が熱くなっている自分に気がつく。なかなかの秀作だったと思います。

映画が始まるとテロップがでて、「1952年画期的な発明がなされ」「1964年、人類の寿命は100歳を越えた」とでます。このテロップでこの作品が何らかにSF的な物語であることに気がつきます。

場面が変わると、一人の女性キャシー(キャリー・マリガン)がじっとベッドに横たわり今にも手術を受けようとする患者を見つめている。そして彼女の改装によって本編が始まります。

舞台はイギリスの美しい田園風景の中に立つヘイルシャムズガーデンという寄宿学校。少年少女がそこで勉強をしていますが、ことあるごとにでてくるシーンがどこか意味ありげで不自然なことの気がつきます。

まるで、理科や社会、語学というふつうの授業ではなく、ままごとのようにお金のやりとりを体験したり、健全そのままの運動をしたり、外出の時は腕にある何かを」ドアのところにかざしている。

実は、この施設はクローンとして生まれた人間を健全な形で養育し、大人になってからドナーとして臓器提供されて最後には死を迎えるまでの準備をする場所だということが次第にわかってきます。

物語はそこで、主人公のキャシー、友人のルース、トミーの友情と恋と、そしてこんな制度の中で人間の感情で目覚める様子を描いていきます。
静かに流れる音楽、淡々と進む物語の中に、いつのまにかトミーとキャシーの親しい様子にしっとしたルースがトミーと恋人になり、静かに身を引くキャシーの姿へと進んでいきます。

子供から思春期、青年と淡々と語りながら、それぞえがバラバラになるも、ドナーの介護士として、ルースと再会、さらにトミーとも再会して、つかの間の恋を思い出すけれども、恋人たちに与えられる猶予期間が実はただの噂だったという現実に打ちひしがれ、静かに最後の臓器提供をするトミーの姿をじっと見守るキャシーの姿で映画は幕を下ろします。

ラブストーリーとして仰々しい画面はほとんどないにもかかわらず、クライマックスのトミーとキャシーの姿が実に切なくてもの悲しい。そして、二人に猶予期間の話を真剣に伝えたルースが二人の行く末を知らずに先に最後の提供で死んでしまうショットがものすごくつらいです。

SFの形式をとった美しいラブストーリーですが、生身の人間とクローンの違いへの疑問や、人間の生への執拗なエゴが痛切に訴えてくる秀作でした。


「大樹のうた」
「大地のうた」三部作の最終章、母とも死別した主人公のオプーのその後を描いていきます。

映画が始まると、大学を2年で終了、その後、卒業を待たずに学校を後にするところから始まります。
前作で登場した親友のプルーとの関係が今回の物語の中心になるのですが、演出スタイル、映像の完成度が若干前二作と変わっているのに気がつきます。

クローズアップが多くなってくるのと、鋭い感性によるインサートカットが格段に少なくなって、どちらかというと平凡な作品になっているように思います。

物語はふとした偶然で、プルーの親戚の娘と結婚することになり、妻との愛情豊かな新婚生活を中心に描かれますが、妻が早産で死んでしまい、失意の中で自殺まで考え、息子に会うことも避けて5年間放浪してしまいます。

しかし、プルーの説得もあって、初めて息子に対面、息子も初めて会う父の姿に戸惑うも、一緒にカルカッタへ行くというところで映画が終わります。

三本を一気にみると、やはり主人公オプーの物語がその幼い頃からよみがえって感慨深い大河ドラマになっているようで、何ともいえない感動も呼び起こされました。

作品の質は第一作の「大地のうた」がダントツにレベルが高いですが、三本を一つの作品として楽しむだけ十分な値打ちのある映画だったと思います