「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「BIUTIFUL ビューティフル」「サンザシの樹の下で

ビューティフル

「BIUTIFUL ビューティフル」
アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督作品、これがなかなかの一品であった。黒澤明監督の「生きる」をモチーフにした作品ということであるが、物語としては全く違う。

舞台はスペイン、中国人や黒人の不法就労者をとりまとめ、地元の経営者に斡旋して生活する主人公ウスバルの物語。
娘と息子と三人で暮らし、やや暴力癖のある妻マランブラとは別居しているが、妻もそれほどの悪人でもない。近くに兄ティトも住んでいる。死者の声を聞くことができる能力も持ち、その能力故にお金をもらって故人の言葉を遺族に語ったりもする。

賄賂を知人の警官につかませて不法就労を見逃してもらっているが、母国へ戻る金を少しでもかせぐために次第に露骨に麻薬の売人をする黒人たち。そしてとうとう彼らは捕まり強制送還される。親しかった黒人の一人の妻イヘの面倒をみて部屋をあてがってやったりする人情味のあるウスバルの姿がどこか痛々しいのである。

そんな彼はある日病院で前立腺ガンと診断され、すでに転移していて余命二ヶ月と告げられる。

そんな中、貧しくて、やむなくスペインで出稼ぎをする人たちを少しでも助けようと必死になるウスバルの姿は鬼気迫るというよりも死への旅立ちのための準備をしているように見える。

集団で隠れて働く中国人たちに、寒かろうとストーブを買ってやったため、事故で一酸化炭素中毒で全員死んでしまい悲嘆にくれる彼の姿もまた悲痛である。
少しずつ死が迫る中、つかの間の妻とのよりを戻すもうまくいかず、霊媒士の知人の婦人に最後が近づいたら子供たちに渡すようにと黒い石を渡されたりする。

ラストは彼の死によって締めくくられるが、冒頭のシーンで描かれる雪の林のシーンが繰り返されたりとなかなかの映像演出にも凝っている。

少し戻ってみよう。
映画が始まると雪景色の林の中、フクロウが死んでいる。そこへ一人の男(実はウスバルの父)がウスバルのところへ語りかけてくる。
静かなタイトルショットが交互に挿入されて、次第に本編へいざなわれるが、淡々と必死で生きるウスバルの姿が非常に厚みがあってすばらしい。そして、彼の周りに関わる人々が一見、違法行為をする場末の人間のようであるが、物語が進むと結局、彼らもやむを得ず必死で生きている姿だと同情さえ生まれてくる。

何かに頼りながら生きていかざるを得ない人々の何かの支えにと必死でかけずり回るウスバルの姿は、一方で死者の声を聞くことができる能力と重なって、非常に奥の深い物語として展開していく。

女遊びばかりしている兄ティトの姿、ウズバルに世話になりながらもふと出来心が芽生えそうになる黒人の女。ウスバルの子供たちと仲が良かった中国人の娘リリ、自分勝手で時に息子に暴力を振るうマランブラ、それぞれの人物になぜか憎しみがわいてこないこの不思議な感情はんんだろう。体当たりで徹底的に底辺で生きる人々をとらえたイニャリトゥ監督の素直で力強い演出がもたらした結果によるものだろうかと思う。

もちろん、バビエル・バルデムの演技も見事で、静かな物語に独特の力強さを表現してくれます。この作品でカンヌ映画祭の主演段優賞受賞もうなずけます。
映像も美しく、冒頭の雪景色のみならず、時折映すスペインのネオンや遠くに見えるサグラダファミリアの景色と貧民街のような住宅のショットなどが、一方で世界的な国でありながら、こうした貧困層の存在を浮き彫りにするすばらしい画面になっています。

二時間あまりの長尺は一見、しんどいように思えますが、圧倒的な画面づくりがラストまで飽きさせません。すばらしい一本でした。

「サンザシの樹の下で」
チャン・イーモウ監督が「初恋のきた道」以来になる純愛ドラマ、しかも今時すっかり古くさくなった白血病による難病物ときているからびっくりなのです。

1970年代、毛沢東文化大革命の時代、モスグリーンの色調を中心にした素朴な画面を中心に、農村に研修に来た高校生のジンチョウと地質調査でその村にいたスンという青年のラブストーリーである。

出会ったとたんにお互いが曳かれ合い、そのままべったりの物語が延々と続く前半部分。強引なまでに猛烈にアタックするスンの素朴さと、戸惑いながらも曳かれていくジンチョウのあまりにも初な少女の姿は今時貴重なくらいに非現実的すぎる物語りといえなくもない。

物語の展開を字幕で語っていくという手法で、細切れに続くシーン展開は特に斬新でもないが、微妙なリズム感を生み出しているようで、どこかしたたかな意図が感じられそうでやや不快感が漂うとも言えるのです。
さりげなく、当時の庶民のおかれていた状況、共産主義へどんどん進んでいく国の政策の中での人々の不安もちらほらと挿入するところは、どこかプロパガンダ的でなくもない。

そして、スンは実は白血病で、入院先で一緒にベッドを共にした後いつの間にかジンチョウの前から姿を消し、ある日学校へ連絡が入って病院へ駆けつけると死を間近にしたスンがベッドに横たわっている。
そして、スンの遺言でサンザシの樹の下に埋めてもらって映画は終わる。
一緒にベッドで寝ただけで妊娠すると思っているジンチョウという女の子の初さはいくら文化大革命のまだまだ黎明期の中国とはいえ、そして高校を出たばかりの少女とはいえ、そこまで?と思えなくもない。

チャン・イーモウ監督と思わなければこれはこれでみることができたのだが、いくら原作が大ベストセラーの実話とはいえやはりチャン・イーモウとなれば「いったいなんで今この映画?」と思わざるを得ない。中国共産党の幹部クラスになったチャン・イーモウとしては何らかの政治的な意図で作ったのではないかと勘ぐっても仕方のない作品だった気がします
箸にも棒にもかからないとはいえないが彼の作品としては凡作だったかと思います。