「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「レスラーと道化師」「帽子箱を持った少女」「ヴァンダの部

レスラーと道化師

「レスラーと道化師」
ロシアの映画監督でエイゼンシュテインと同時代のボリス・バルネット監督傑作選を見てきました。

まだレスリングがサーカスのだしものであった時代のおはなしということですが、そんな時代も知らない私には何ともコメントできません。

ですが、とにかくおもしろいのです。どんどんストーリーが展開していく上に道化師のドゥーロフとレスラーのイワンの話が交互に描かれながらも決して混乱することもなくそれでいてそれぞれのストーリーがしっかりと作品の中でまとまっている。

映画が黄金時代であった頃の映画作りを知る本当の映画監督が作った本物の娯楽映画というイメージの傑作でした。

ストーリー展開の妙味以上に目を見張るのが画面づくりの美しさです。静物と登場人物の配置の美しさ、イワンが故郷に帰ったときなどの風景と人物のとらえ方の美しさ。

冒頭からのサーカスシーンの斬新さにも目を引きます。前半部分、イワンの恋人になるミミが空中ブランコをするシーンをさらに上から見下ろす構図でミミをとらえていくカメラアングルの見事さ。特撮などがまだ幼稚であった時代、スタントかもしれませんがそのまま人物がブランコをするシーンを描いていく迫力は半端ではありません。

映画が始まるとサーカスの舞台を見下ろすショットにタイトルバック。そして場面はオデッサの港町へ。そこへやってくるイワン、サーカス団にはいるべく場所を探す途中で道化師として雇われようとしているドゥーロフと出会い、二人でサーカス団へ。

入団したものの、無名であったにも関わらず人気がでたドゥーロフは同僚の道化師の妬みにあって石灰を混ぜられそのままサーカスを去りドイツへ行く。元々有名だったイワンはそこで当然人気をえるが、フランスのレスラーブシャと戦う際、その男がオリーブ油を塗って反則をしたにも関わらず試合を放棄したために負けたことになってしまう。

一方のドゥーロフはその芸でどんどん人気者になっていく。

故郷に戻ったイワンはそこで幼なじみの女性と恋仲になりかけるが、たまたまやってきたサーカスに誘われ再びレスラーに。そして連戦連勝の末再びブシャと戦いチャンピオンになる。

ドゥーロフとともに故郷へ帰ってきた二人は大歓迎をされてエンディング。

妙なメッセージなどなく、ストレートに感情に訴えかけてくる娯楽映画の傑作で、映像の美しさは残念ながら色落ちしていているものの構図の美しさに息をのむ。編集の醍醐味で見せたエイゼンシュテインの作品とはまた違った完成度の高さを見せる映像が見事です。

さらに二人の出世していく様が見事に交互に組み立てられたストーリー構成のうまさでどんどん引き込まれていくのです。
そして、ラストで素直な感動を呼んでくれる。

花束いっぱいに画面が埋まってエンディングの見事さは映画が映画だった時代のたまものですね。

「帽子箱を持った少女」
サイレント映画を見るのは久しぶりです。

帽子をデザインする少女ナターシャがモスクワへ商品を届けにいく途中の汽車で知り合ったイリアという学生とのコミカルなラブストーリーとたまたまもらった宝くじが当たり、その渡し主から返してほしいと迫られるどたばた劇がからみ合う典型的なサイレントコメディです。

ただ、構図の美しさ、映画としての画面づくりがこの作品にもあちこちに見られます。

ナターシャを恋いこがれる駅員フォーゲロフが冒頭でナターシャを追いかける場面。雪の坂で登れなくなりナターシャに置いてきぼりを食ってしまうコミカルなシーンからナターシャを追いかけるシーン。雪原の彼方を点のように走るフォーゲロフのショット。これこそ映画の演出というべきですね。

さらに駅に駆け込んで切符販売員を待つ客に滑り込んでフォーゲロフが窓口に座るショットまでが実にみごと。

典型的などたばた劇ですが、軽快に進むストーリーと画面が生み出す独特のリズム感が心地よく、あっという間にラストまでたどり着いてしまう。

結局、偽装結婚したイリアとナターシャは最後に本当の恋になってハッピーエンドを迎えますが、アメリカのサイレント映画とはちょっと味わいの違うムードがとっても楽しい一本でした。

ヴァンダの部屋
ポルトガルペドロ・コスタ監督が描く移民街の姿。ドキュメンタリーのなかに埋め込まれた創造の世界というべき異色の作品でした。

すぐそこまで新しい住宅が建ち始め、次第に古い建物がブルドーザーなどで壊されている。すでに住民が立ち退いた建物に不法に住んでいる移民たち。彼らは特に仕事らしい仕事もなく、一日中ヘロインかコカインかを接種するいわゆるジャンキーたちばかりである。

映画が始まると主人公ともいうべきヴァンダとその姉の姿が映し出される。時折激しくせき込みながらも麻薬をすい続けるヴァンダ。不衛生な汚れたベッドに座り一日中薬漬けの状態である。時折、野菜などを近所へ売りに回る程度で仕事らしいシーンは全くなく、せき込む姿と薬を接種するショットばかりである。しかも画面が変わっても別の住民もまた注射器を使用したりしているという始末。

そんな重苦しいような特に動きのない物語がドキュメンタリーとして据え付けられたカメラでとらえられる。にもかかわらず妙に画面が美しい。ライティングが美しいのかと思っていたが、画面のどこかに暖かい暖色が配置されているのである。そして、テレビがなぜかつきっぱなしで画面の隅に配置されている。時々外の日差しが入る出入り口が構図の中に入れられ、どんよりしたシーンの中で息継ぎできるような解放感をもたらす。

3時間に及ぶ重苦しいシーンの数々、次第にヴァンダをはじめここの住民たちの命はそれほど長くないことが見えてくる。時折、すぐそばにそびえてくる新興の団地のショットが彼らの生活と対象をなして明るく映される。

特に事件も起こらず、次第に自分たちのすみかのそばまでブルドーザーの音が近づき、今にも破壊されるのではないかという危うさの中でひたすら麻薬の接種にいそしむヴァンダたちの姿は何ともやるせない思いに私たちを放り込んでしまい、見ていられなくなってくる。正直、はやく3時間が終わればいいと感じていたほどである。

しかし、現実の彼らには終わりはない。その現実が作られた映像とはいえ冒頭からエンディングまで全く前進のないままに描かれるこの作品の迫力は半端ではないと思える。

と、評価はしますが、個人的にはもう見たくないです。しんどい。