「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「爆心 長崎の空」「シャニダールの花」

爆心長崎の空

「爆心 長崎の空」
この手の映画は作品の出来不出来とかを云々言うべきではない。忘れてはならない出来事を後世に残すべき為の映画であるからである。

とはいうものの、原作があるとはいえ内にこもりすぎた感がしないわけではない。もう少し解放した映像、演出が施されてもよかったのではないでしょうか。

物語は、幼い娘を亡くした砂織の家族と、母を亡くした清水の家族の話を通じて語られる被爆二世のお話であるが、被爆というテーマはかなり希薄に見えて、ただ、子供をなくして幻覚にとらわれ、妊娠によってさらに悩む女性砂織の姿、幼なじみの清水にプラトニックな恋を抱きながら、母の男遍歴を忌み嫌い自分をいじめる勇一の姿と、母に最後に謝れなかった後悔に悩む清水の苦悩が全面に出すぎている。

心理描写がうまく配分されていないために肝心のメインテーマである長崎の原爆被爆のテーマが完全に脇に寄せられたのである。

二つの家族が、何気ないできごとから接点が生まれ、ラストでそれぞれが希望へと旅立つシーンでエンディングだが、なんとも流れがよどみすぎたのが残念。ただ、最初にも書いたけれども、こういう映画はあまり作品の質についてこだわるべきではないと思う。これはこれでいいのではないでしょうか。そういう映画です。


シャニダールの花
それほど期待もしていなかったが、その通りというのもちょっと残念。

まず第一に、全体の展開が実に薄っぺらくて面白味がない。淡々と進んでいくのはいいとしても、どこにポイントを置いて物語を語ろうとしているのかが結局見えないのである。

しかも、鳴り物入りで出演している黒木華蜷川幸雄はじめ有名な演出家に重宝されていると言うが、存在感が薄すぎる。終盤のキーパーソンなのに光ってこない。さらに最近やたら出ている綾野剛だが、しんみりとした演技の時はいいのだが、泣いたりして感情を解放するシーンになるとなんとも素人っぽくていけない。この程度だったのかと目を疑ってしまった。

提供者として登場する数名のキャストにも個性が見えなくて、ストーリーがただ淡々となにを語るでもなく進むだけになっている。石井岳龍監督もこの程度かと思ってしまう。

人間の体に寄生するというシャニダールと呼ばれる花の研究所にセラピストとして響子がやってくるシーンから映画が始まる。所長が手術に立ち会い中で館内の案内を任された大瀧が彼女を施設内を連れ回す。

交互して、女性の体からシャニダールの花をとる手術が映され、とったとたん女性の心杯が停止になるという事故らしいものが。

大瀧は響子に、ここへの赴任を断るように勧めるが彼女は赴任してきて、二人は一人の少女を提供者として勧誘、こうしてこの施設での花の栽培の展開となる。やがて響子と大瀧は恋に落ちるが、一方で提供者の間に確執がでてくる。

花の採取に事故が相次ぐなか、響子の体になぜかシャニダールも花が。そして、大瀧との間に溝ができた響子は退職し行方不明に。程なく研究所は閉鎖、大瀧は植物栽培の仕事先へ。そこで、種が送られてきて、たまたま地面に落ちた種からシャニダールが咲く。

それをみて大瀧が響子のところへ行くと、彼女は植物状態になっている。というか、体は人間だが、目覚めることなく花を咲かせているらしい。

世間ではシャニダールの花が人間に寄生する事件がニュースになり、大瀧はかつての研究所長のところを訪ねると、すでにシャニダールの危険性は知っていたと言われる。

大瀧は人類進化の次の段階は植物への回帰であるということが信じられないが、気がつくと一面に咲くシャニダールの世界にたたずみ、傍らに響子が立っている。大瀧も植物になったのだと語る彼女と二人でシャニダールの咲き誇る姿を見てカメラはエンディングへ。

とまぁ、ストーリーを語っても、要するに一貫性が見えない脚本なのである。大瀧が響子に施設赴任を断るように勧める下りの意味は結局何?閉鎖後に所長が、シャニダールは危険で、その秘密を知っている自分は命が危ないかのようなせりふの意味は?

結局、ストーリーの中に監督の意図が見えてこないのがなんとも残念な一本。といって、どうしたらよかったかというと、そのアイデアも浮かばない。これが石井岳龍だと言われれば、それもまたしかり。そんな映画だった。