「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「夏の終り」「江ノ島プリズム」

夏の終り

「夏の終り」
海炭市叙景」の熊切和嘉監督作品。非常に上品で丁寧な映像表現と、テクニカルな演出が入り交じり、レトロなムードの中に女心のうつろいゆく微妙な情熱を描ききった作品である。

一人の男涼太が知子の家を訪ねて来るところから映画が始まる。出迎えたのは小杉慎也という小説家で知子の愛人である。涼太というのは、かつて知子が結婚していた頃に、夫の選挙運動の中で知り合い、駆け落ちした恋人である。

涼太を慎也が招き入れてタイトル。藍染をしているらしい主人公知子が次々と切っていく切り絵をバックにしたしゃれたクレジットが続く。

物語は知子が愛人として暮らす慎也との生活、そこに絡んでくる涼太との恋の再燃が中心になる。しかし、お互いにお互いを認めあい、慎也の妻さえも知子の存在を認めているという前提が何とも不思議なムードである。時代が、第二次大戦直後くらいの日本を舞台にしているためか、非常に色彩を押さえた映像と、レトロなムードも独特のイメージとなってスクリーンにただよう。

知子が帰ってきて、買ってきたコロッケを慎也と食べる。涼太がやってきたという慎也の台詞。慎也と知子のなれそめは映画の終盤まで描かれることはない。涼太とのなれそめは物語の中盤で語られるので、何となく全体は見えるのだが、慎也とその妻、そして知子の設定が最後までおざなりになるので、ややストーリー的には戸惑っているが、過去と現代を交錯させて、どこが過去でどこが現代か混乱させるほどにあまり差を作らずに語っていくので、これは知子の揺れる心の心象風景だとみればよいのだと途中から観念する。

港で知子を迎えた慎也と涼太。知子と涼太が会話するシーンで、背景だけがストップモーションで止まったり、後半で、涼太と知子が喫茶店ではなす場面でも背景が止まったりとテクニカルな映像も多々挿入。さらに、後ろ姿の涼太を見つけて、思わず駆け出す知子がスローモーションになる下りなどにもテクニックを駆使していく。

やや、過剰に思えなくもないのだが、慎也との生活が実に静かに描かれているし、小林薫の演技が静かなので、それはそれでみていくことができる。また満島ひかりの和服姿が実に決まっている。

結局、慎也の留守に小杉の妻から電話がかかり、それを受けた知子の微妙な心の変化から、慎也の元を離れもう一度一人で生きていこうお決断するクライマックスが唐突でさえあるが、淡々とラストを迎える。蝉の鳴く声をバックに慎也が取材旅行に知子の元を去っていく。

全体に背後の音楽や効果音が実に品がいいのもこの作品の見所でもあるかと思う。

良質な一本だが、知子の家にやってくる女子学生についての描写も全くないあたり、やや、あらっぽくテーマに向かって突っ走る映像詩的なところも見受けられる一本。

もう少し、どこかに毒になるようなスパイスがあったら、映画として深みがでた気もしないわけではないかなと思える映画でした。


江ノ島プリズム」
このBLOGは亡備録なのでラストまで書いています。もちろん承知の上で読み始めるでしょうけれども、この作品については絶対最後まで読まないでください。本当に、本当に、こんな切ないラストシーンがあるかな?まだ、映画を見始めた頃の純粋な気持ちが残っているなら、ラストシーンに涙が止まらないし、そして、思い返すたびに胸が熱くなってしまう。とっても切ない、とにかく切なくて切なくて、そんな珠玉の青春ラブストーリーでした。

映画は、この作品の主人公修太、朔、そしてミチルの三人の小学生が必死で江ノ島の山に登っていく。体の弱い朔をおぶっている修太、その傍らでランドセルを担いでいるミチル。

彼らは子供の頃から大の仲良し。この日も、修太は朔を負ぶって頂上まで行くと決めて必死で上っている。そして頂上で彼らは海に浮かぶ美しい虹をみる。タイトル。・・・

目覚まし時計がなる。修太のベッドの傍ら。止めようとするところへ母が駆け込んできて窓のカーテンを開ける。今日は朔が亡くなって二年目の命日、修太も朔の家に行くべく喪服を着て飛び出す。

朔の部屋でくつろいでいて、そこに子供だましのようなタイムトラベルの本を見つけ、そこに付いていた付録の時計をする。朔の思い出にともらった修太は、帰りの電車の中で、その本の通りに遊び半分に願ってみるとなんと、トンネルを抜けると目の前に高校時代の朔が座っている。学校へ行くと、なんと朔が亡くなった日にイギリスに留学したミチルもいる。なんと二年前の朔が死んだ前日に戻っている。

タイムトラベルもののトラベルシーンはシンプルな方がいい。なんせ、きまりはないのだから。そして、この導入部は定番とはいえ、とってもすっきりしてるのです。

懐かしい三人でふざけあい、理科室のプリズムを窓にぶら下げて、きらきら光る壁をみるが、窓から飛び込んできたバスケットボールに当たったショックで修太はまた二年後の命日の日に。繰り返すシーン。そして、今度は学校で催眠術にかけられそうになり、その担当の先生が眠ってしまって目の前に、タイムオプリズナーと呼ばれる今日子が現れる。おきまりの展開ながら、こういう常道ははずしてほしくない。しかも、この後、彼女が重要な役割になるのだから全く見事な脚本である。

朔が死ぬ前日、ミチルは修太に朔に渡してほしいと一通の手紙を預ける。そこにかかれた内容はわからないが、おそらくミチルの朔へのラブレターだろうとおもって、なにげなく修太はあの日、朔の家に行って自転車を借りるときに母にことづけるのだ。ところが、朔はその手紙をみて駅へ走っていく途中で、駅の前で倒れ死んだのである。修太が自転車を借りなければ朔は自転車で行けたのだ。そんな思いから責任を感じる修太。

修太は絶対朔を助ける決意をする。しかし、過去を変えることは危険だとアドバイスする今日子。この展開もお決まりだが、この常道が、前半の手紙の中身を絡めた実に念入りな組み立てになっているからすばらしいのです。

過去に戻った修太は自然に朔にミチルの留学を報せるべく、ミチルが旅立つ前の日に学校で花火をして、それまで花火をみたことがない学校という空間からでられない今日子にも見せる下りが何とも美しい。しかし、その企ても失敗、しかも、過去を変えようとする修太の行動は意外なことに、朔が死んだ上に、本来なら立ち直っていた母親を今度は自殺未遂という現実に変えてしまう。

修太は、なにを犠牲にしても朔を救いたいと今日子にいうと、今日子は残酷なことを告げる。もし、朔が助かり、過去が変わったら、修太の記憶だけでなく、朔やミチルの中の修太の存在が消えるというのだ。しかし、それでも修太は朔を助けることを選ぶ。

そして、事故の当日、修太は走り出した朔を追いかけ、自転車で追いつき、朔を乗せて駅へ。ミチルに間に合った二人。朔が「こんな手紙自分で渡せ」とミチルに言う。朔が修太に手紙を読めという。てっきり、ミチルの朔への告白だと思っていた修太が読み始める。

ほとんどが朔に修太を頼むという文章だが、最後の最後に「もし、修太に好きな人ができたら、すぐに知らせてほしい。真っ先にイギリスから帰るから・・・」つまり、これはミチルの修太へのラブレターだった。しかし、時は残酷、電車に乗ろうとしたミチル、朔には修太の想いでは消えているのだ。そして、まもなく修太からもあの三人で楽しかったすべてが消え去っていく。

こんな切ないラストがあるだろうか。最後の最後のあまりにも残酷なラストシーンに涙が止まりませんでした。自分を捨てても、親友の命を守ることを選んだ修太。あまりにも悲しいです。

エピローグ、浜辺で修太がプリズムのようなガラスを拾う。そこへ恋人同士のような朔とミチル。そのガラスをもらい、お互いなにも気がつかずに離れていってエンディング。

確かに、映画としての出来映えは「時をかける少女」(大林宣彦)と天と地ほど違うかもしれない。でも、タイムトラベルものの青春ラブストーリーとしてはおそらくここ何十年ぶりかの傑作だった気がする。しかも、こちらはほとんどオリジナル作品なのである。もう最高。もう一度見に行きたいくらいです。