「初春狸御殿」
こういう映画の作り方がある。徹底的にエンターテインメントに徹し、豪華絢爛というセットの数々と、次々と衣装替えする大スターの魅力。歌い踊り、ストーリーより、楽しんでもらうことを第一にした本当の娯楽映画を見た感じでした。すばらしかった。
何度も映画化されている狸御殿のお話ですが、西岡義信の美術セットの美しさ、見事さに目を見張る。しかも、次々とセットが入れ替わる豪華さ、その中で歌い踊る市川雷蔵と若尾文子の華やかさにと気を忘れて引き込まれてしまいます。これが日本映画全盛期の迫力ですね。
決して作品が芸術的に優れているとかいうことなど問題外。オープングから、とにかく楽しい。
狸の親子のたわいのない話から、姫の身代わりになる娘狸のシーンから、次々とセットが入れ替わっていく中でのレビューよろしく見せる舞踊シーンのすばらしさ。
ラストは、泣かせるようで、なるようになってのハッピーエンドに、お金のかかった夢見心地のひとときを過ごせたという感動に包まれて劇場をでることができます。いいものをみました。これが映画です。
「越前竹人形」
品のある文芸映画の秀作、やはり吉村公三郎監督の作品は、落ち着いた気品が漂いますね。いい映画でした。
物語は水上勉原作の有名な作品。宮川一夫の端正な自然を映すカメラと西岡義信の美術が
相まって、名作文学を見事にスクリーンに映し出しています。その詩情あふれる風情に、どこかしら漂ってくるほのかな色気がとにかくすばらしい一本で、若尾文子の魅力が全編に満ちあふれ、無骨な夫役の山下洵三郎のきまじめなキャラクターがさらにその色気を引き立てています。
雪が深々と降る日、竹細工の喜助の父の墓参りに、かつて世話になったという玉枝という女が訪ねてくるところから映画が始まる。芦原温泉の遊郭で喜助の父に世話になったという玉枝に喜助は惚れてしまう。
こうして、無骨な喜助と玉枝の恋物語が始まる。時折挿入される山深い竹林の風景や、何気ない日本の原風景が、作品に落ち着きを与えています。このあたりの演出が、吉村公三郎だなと、感じいってしまう。
父のなじみだったことで、玉枝を抱くことができない喜助。
そんなる日、得意先の番頭で、かつての玉枝の客に玉枝が出会い、過ちを犯してしまう。そして、妊娠をしてしまうのですが、それがわかった時、喜助は、わだかまりをなくし、玉枝とちゃんと夫婦の生活をすると告げる。
なんとか喜助に知られないように処分するべく、知人を頼って玉枝は出かけるが、その心労で、流産、そのまま無理をして喜助の元に戻るも、玉枝は息を引き取る。