「僕とカミンスキーの旅」
デジタルを駆使した面白い映像表現が面白い一本
絵画が現実になり、また現実が絵画になる。そんな遊び心満載の映像からタイトルが始まる。マヌエル・カミンスキーという天才画家の姿が延々と描かれ、若干くどいほどの紹介から本編へいく。監督はヴォルフガング・ベッカー。
売名行為丸出しで、スイスに引きこもっているという天才画家のカミンスキーを発見したセバスチャンは、早速その取材のためにカミンスキーの家を訪ねる。
傍若無人で礼儀を知らないセバスチャンの行動と対比して、目が見えないために淡々と喋るカミンスキーの対比が面白い。
時折、現実と幻想が入り混じったような遊びや、絵画が物語の中に埋め込まれた演出が面白い。
同居人に邪魔されないようにと、なんとかカミンスキーを連れ出したセバスチャンのロードムービー的な部分が終盤のクライマックスとなり、そこに、なぜか次々とトラブルや、新しい登場人物が絡んできて、不思議なユーモアに満たされてくる。
そして終盤、実はすでに取材されていることが判明して、これまで取りためた音声や写真も無駄になり、海に捨てて、浜辺に座るカミンスキーに声をかけ去って行くセバスチャン。
カメラは海に向かって座っているカミンスキーは、何気なくうなだれ、死んでしまったかの想像をさせて、画面は絵に変わってエンディング。なかなか見せるところは見せてくれたちょっとしたいい映画だったかなと言う一本でした。
「気ままな情事」
テンポの良い映像展開と音楽が秀逸の一本で、若干めんどくさすぎるほどくどいところもありますが、なかなか楽しい映画でした。監督はアントニオ・ビストランジェリです。
主人公アンドレアが颯爽と歩いている姿から映画が始まる。テンポの良い音楽に乗せられて始まるオープニングがなんとも心地よい。そしてふとしたことからアンドレアは誘われるままに美しい人妻と情事をしてしまう。ところがアンドレアには美しい妻がいて、自分のことを棚に上げて、妻が浮気をしているのではないかとう疑い始めるのが本編。
あとは、どんどん嫉妬心が高揚していって、必要以上に妻を監視するようになり、終盤では半ば狂気のようになって行く。
妻は仕方なく嘘をついて、浮気をしたというが、結局嘘であることをアンドレアも知ることになり、ハッピーエンド。
かと思いきや、逆手を取って妻は浮気をしていた。すでに疑うことをやめた夫は何があっても妻を信じるようになってエンディング。ある意味ブラックユーモアである。
映像のテンポと音楽のコラボ、物語のリズム感がとにかくうまい映画で、カメラワークも秀逸、なかなかの傑作でした。
「わが青春のフロレンス」
長年、見たかった一本をようやくデジタルマスターで見ることができた。なるほどと唸るほど美しい映画です。
オープニング、刑務所の塀を右に、やや緑がかった色彩をバックに黒い服の人々がモリコーネの音楽に乗せて歩いてくる。 まるでシルエットのように浮かび上がるファーストシーンにまず引き込まれる。1880年フィレンツエの文字、タイトル。監督はマウロ・ポロニーニです。
主人公 メテッロが生まれたところから映画が始まり、母が死に、父も少年時代に死んでしまって物語は本編になる。
労働運動に夢中になる一方で、エルシリアという女性と出会い、父が歩んだ運動を引き継ぐように若さを爆発させて行く。
やがて結婚して子供が生まれ、労働運動で投獄されては釈放を繰り返し、さらにふとした出来心で不倫をしたりして夫婦の溝も生まれるが、やがて、労働者と資本家の折り合いもついたものの投獄、釈放されて出てきたメテッロを子供づれのエルシリアが出迎えてエンディングとなる。
とにかく、画面全てが計算され尽くされた色彩演出が施され、見事な構図で切り取られる画面のそれぞれが本当に美しい。さらに同じスコアを繰り返すエンニオ・モリコーネの音楽が甘ったるい空気を生み出して、ヨーロッパらしいムードがスクリーンから滲み出てくる。
画面の隅々、物語の演出の隅々まで手を抜いていない見事な映画で、名作とはこういう映画を言うのだろうと呼べる一本でした。