「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「怪物はささやく」「パトリオット・デイ」

kurawan2017-06-14

怪物はささやく
とってもファンタジックで美しい映像に酔いしれてしまう一本。オープニングの美しいタイトルバックから、主人公のコナーが、とある教会の周りの地面が崩れて母親を落とすまいと必死になる悪夢のシーンまで一気に引き込んでくれます。監督はJ・A・バヨナです。

コナーは時々この悪夢を見て目を覚ました。末期の癌の母親と二人暮らしのコナーのところに祖母が一緒に暮らそうとやってくるが、コナーは行きたくない。そんなある夜、12:07になった途端に裏の墓地にある巨大な楡の木が巨人の怪物になり、コナーの前に現れて、三つの話を話し始める。もちろんこれも夢の中とわかりながら最初の話を聞くコナー。

それは王子の話だったが、表に見える誠実な姿の裏にある人間の心の本音、さらにその本音もまた真実は美しいと伝える。

やがて母は、入院し治療をするも快復する様子がない。コナーは学校ではいじめにあっていて、そのエピソードも、怪物が出てくる悪夢につながっていく。二番目の話は教会の司祭と薬を調合する調合師の話だった。

怪物の語る物語の背後に様々な暗喩が隠されていて、それはコナーが母に対する想いを癒すものであるようだとこの辺りからわかってくる。

最後の話を聞いたコナーはいじめを受けている級友に襲いかかり怪我を負わせるが程なくして母親が危篤になる。そして死を間近になった母の前に祖母と二人で寄り添うコナーは現れた怪物の言葉に耳を傾ける。

母がすでに助からないことはわかっていたが、それを認めたくなくて、悪夢で教会の墓地が沈んでいく夢を見ていた。しかし現実に目を向け、しっかり見つめて語ることが4つ目の話でそれはコナーが語るべきものだと怪物は告げる。

やがて母が死に、現実にしっかり向かい合ったコナーの姿、そして残された母の遺品の中のスケッチに様々な絵が描かれている。かつて美術学校に行きたかった母の夢を託されたかのラストシーンでエンディング。

童話を基にしているので、どこか教訓めいたものも見えるのですが、CGを交えたファンタジックな映像と動きのある画面作りがとにかく流麗で美しい。CGアニメと実写のコラボが実にセンス良く組み合わせられているので、見ていて夢の世界に放り込まれる感じです。物語のテンポもいいし、とっても好感な一本でした。


パトリオット・デイ
2013年にボストンマラソンの時に起こった爆弾テロ事件を描いたサスペンスドラマである。群像劇として展開するのですが、細かいカットとリアルな映像、ドキュメントタッチのカメラワークを駆使した映像が実にうまい。監督はピーター・バーグ

主人公の刑事トミーが何かの犯人の家に突入するシーンから映画が始まる。そこで片足を痛めたが、翌日はボストンマラソン、そこでの警備の仕事が待っている。

ここから、今後登場する実際の人物の背景を手際よく描いていって、物語はマラソンシーンになる。そして、爆発。それまでに犯人の姿も描いてあるとい脚本の組み立てもなかなか面白い。

あとは、トミーを中心にした捜査の模様と、犯人の姿を交錯させながら描かれていく。FBIの捜査の手際、科学捜査の実態、映像分析などのテクニカルな描写でリアリティを持たせ、一方で、冒頭で描かれた様々な人物の爆破後の怪我の様子なども語られていく。

実話なので、捜査の流れ通りに最後は犯人が捕まって、ボストン万歳で終わるアメリカ映画的なエンディング。

ただ、実話の事件の映画とはいえ、カット編集のうまさ、細かいカットの切り返しなど映像演出の手際良さがとにかく光る作品で、最後まで息をつかせないサスペンスとしても十分に見ていられる。なかなかクオリティの高い秀作映画という一本でした。