「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「消えた声が、その名を呼ぶ」「白鯨との闘い」

kurawan2016-01-18

「消えた声が、その名を呼ぶ」
解説にも書かれているが、西部劇のような感じの作品でした。家族と引き離された主人公が、放浪の果てに娘と再会する物語は、とても舞台が中近東とは思えません。荒涼とした大地の場面、ところどころに難民のように固まるテントの風景などまさに、西部劇の世界と言えば言えなくもない。もっと重い話かと思われたが、純粋な、家族の物語で、ちょっと拍子抜けといえば拍子抜けです。でもいい映画でした。監督はファティ・アキンです。

オスマントルコ1915年、平和な町で暮らす鍛冶職人のナザレットの姿から映画が始まる。優しい妻と、愛くるしい双子の娘に囲まれた幸せな日々。時は第一次大戦、ドイツに味方したトルコは戦争に参加することになるものの、まだこの街に戦禍は漂ってこない。空を飛び去る鶴を見て、娘と楽しそうに語る父ナザレットのシーンが描写されるが、ある夜、憲兵隊がやってきて、男たちを兵士として連れさる。ナザレットもその一人として連れられ、労役へ。

そこで、理不尽な扱いを受けた上に、トルコの兵士にアルメニア人ということで皆首を引き裂かれ殺されてしまう。ところがナザレットを手にかけた男は、それをためらったために、喉をやられただけで、ナザレットは助かる。そして、ある人物から、娘たちが生きていることを知り、娘に会うために放浪を始めるのが本編になる。

盗みを働き、いく先々で、瀕死の状態で金を作り、次の場所へ探していく。キューバにわたり、ミネアポリスに移り、そしてとうとう娘に会うのですが、双子のうちの一人はすでに病死していた。抱き合う父と娘のシーンでエンディング。

広い大地にポツンと存在する井戸や、大きく俯瞰で捉える難民テントの集落、彼方に見えるトルコの街など、映画としての構図もしっかりしている。カメラワークも的確で、ナザレットが盗みに入る家や、汽車に飛び乗る時のアングルなども、ちゃんと映像としてのセオリーをしっかりと捉えているので安心してみていられる。

ストーリーのテンポも、冒頭のタイトルシーンまでの軽快な導入部もうまい。全体にクオリティの高い完成された一本という感じの作品で、予想していた重さはなかったが、それはもともと監督の意図だろう。見ごたえのある映画でした。


「白鯨との闘い」
さすがに見ごたえのある人間ドラマの秀作でした。ダイナミックなカメラワークと、極端なクローズアップが生み出す、緊迫感のある展開は一級品の味わいを見せてくれます。監督は名匠ロン・ハワードです。

映画は「白鯨」の原作者メルヴィルが、19世紀の捕鯨船エセックス号の悲劇の生き残りに真実を聞きにくるところから映画が始まる。

エセックス号は、座礁により難破し、わずかな乗組員が漂流の末に帰還したことになっているが、真実は、巨大なクジラに船を破壊され、その上、脱出したボートでは、死を迎えた乗組員を食料にしながら生きながらえたという物語が隠されていた。

ベテランの航海士オーウェンチェイスが新妻が妊娠していることを知りなが新たな捕鯨に出向くところから本編が始まる。地元の名家のジョージ・ポラードが新米の船長として乗組み、最初は二人の確執から展開していくが、嵐で、船が痛む中、ともに大量の鯨油を手にして誇りを持って戻るという目的で一つになり、さらにクジラを求めていく。

ところが、クジラの大群に出くわし、いざ、捕鯨をという段階になり、巨大なマッコウクジラが彼らを襲ってくる。そして、母船さえも木っ端微塵にされ、命からがら脱出ボートに乗るも、やがて、飢えが彼らを襲う。そして、死を迎えた乗組員を食した事に端を発し、くじ引きで食料となる人物を決めていくようになる。

結局数名が最後に助かるが、船主たちは、捕鯨を守るため、鯨に襲われたこととそのあとの悲劇を隠すように求める。しかし、オーウェンジョージも、それを拒否する。

時代は、鯨油から石油に変わろうとしているのをさりげなく匂わせ、「白鯨」が出版されたナレーションとともに終わる。

大海の美しいショットを交える一方で、荒れ狂う嵐の場面を迫真の映像で見せ、さらに、悪魔の如き巨大なクジラを画面に映し出す。時に超クローズアップで捉えるジョージやオーウェンのカットが見事な緊張感を生み出し、一方で、極限に立たされた乗組員の表情が、緊迫感を生む。ストーリー構成も見事で、単なる鯨に襲われたスペクタクルを中心にせず、その後の漂流場面にもしっかり的を絞った展開は素晴らしい。

重厚感十分な見ごたえのスペクタクル人編ドラマという感じの一本でした。大満足な充実感です。